近未来のジャーナリストは?近未来のハロウィンは?

 ガザの報道が毎日テレビでやっていてよく見られているがそこにはジャーナリストがいて画面に向かってなにかしゃべっている。ときどき爆弾らしきものが破裂する音がする。戦争が終わらず続いていくといつかジャーナリストはいなくなってしまうかもしれないなんて思う。よくやってるな怖くないんだろうか。いなくなってしまうその前にジャーナリストはAIロボットに置き換えられてそのロボットが画面に向って報道するようになるのかもしれない。でもそうならそれより前に兵隊はAIロボットになっている。ガザに隠れているテロリストは生け捕りにされてイスラエルとパレスチナの争いは強制的に終了となる。そのときはジャーナリストはAIロボットに兵士はAIロボットでテロリストとガザの住民だけが人間で画面には壊れたロボットに混じってばらばらの人間の死体が映っているのだろうか。これを映画やドラマの視線が見るとするとドラマの主体は死んでものになっている人間なのかそれとも壊れているがすぐに修理されてまた立ちあがるロボットなのかにわかには判別しがたいかもしれない。何をどう見せるというのは演出家の仕事で画面には舞台装置と俳優がいて🎬がなってスタートする。
 もちろんロボットが主体になっている戦場にはもうその頃は人間の姿はないだろうからこういうことはないだろう。こういう場面はジャーナリストがAIロボットに置き換えられた初めの時点ではありうるかもしれない。
 
 戦争は敵を倒すためにやる。敵のいるところを破壊して戦えないようにする。理想的には人間だけ残してあとはすべて破壊できるのがいい。人間たちは抵抗できないように武器をかくし持てないように剝出しの裸にして捕まえることが出来ればよい。人間を殺さない戦争は可能になればいいのだろうか考えてしまう。とりあえず収容所が必要になる。こう考えてしまうと戦争=収容所ということ。勝者と敗者がいるのではなくて戦争は収容所になったときに終わるということになる。西欧的な人権を重視した考え方はこういうことに帰結しそうである。あとはどういう条件があれば収容所から出てこられるのかが決められればいい。近未来のジャーナリストは収容所から出てくる人にインタビューをするのだろうか。収容所の責任者がその時には記者会見をするのだろうか。
 戦争は異物の排除であるならば免疫系と変わらない。しかし人間を排除するということはどうしてもまずいことにつながるので収容所のなかに収容することになってしまう。こうして世界とは増え続けることをやめない不適応者たちが収容される個人対応の繊細な医療技術による監視で不適応者たちをそれぞれ適当な組織に回収して労働力として再利用できるようになっていくのだろうか。不適応者たちがいなくなることはないので収容所的な環境は複雑化して拡大をすることがやめられない。収容所的な空間は所々内側から裏返って奇妙な不思議な幾何学的な構造に解消されていくのだろうか。それは新しい都市環境になるのだろうか。
 不適応者という存在は医療的な視線によって可視化される。その視線は社会にどんな設備があれば彼らにとって適応することが出来て彼らの特殊な能力ということを析出させてそれを抽出することで新しい利益を得ることが可能になる。こうしてまた生物学的視線によってまた動物に回帰する人間が新たなる能力を持つようにトレーニングされ特化した富を生みだす圧倒的に役に立つ新たなる希望に満ちた人間という素晴らしい動物が生まれてくる。
 自由な社会とは自由な企業活動を支援する社会になっていくのでそれを進めていくためのスキルを学習することで人間は変容していく。これは教育訓練システムのテクノロジーの自動的な進歩を促すので特殊内部的な進歩のスピードは外部的な価値判断の基準で介入してそれをコントロールすることを追い抜いてしまう。結果的に逸脱した人間たちが出てきてしまいまた収容することがつねに必要になって収容所化がまた進む。そこで何が起こっているのかは内部的な判断基準が外部に公開されてもつねに内部的な合理性によってその基準はつねにアップデートされるので複雑すぎて解析を拒むようになっていくだろう。生産性を阻害しかねないと内部的に判断されるから。そこに無理にでも介入しようとすると防衛機構が働いて洗練されたしかたでかあるいは暴力的なやり方でくるのかは予想できないだろう。人間を守り人間を生かす万人に共通な価値観を最優先する価値判断で動く外部的なコントロール機構はあったとしてもそれが強力に働くという保証はない。たぶん不適応者が出るということがいじけてはいるがある種の希望にみえるのかもしれない。もし不適応者が一人も出ない時が来たときそれがいいことなのか怖いことなのか判断に迷うかもしれない。
 ということであるので、もしまだジャーナリズムが存在しているなら近未来のジャーナリストとはそこに介入する勇気を持つ人間のことになるだろうか。そうだテロリストたちは恐怖をほとんど感じないかもしれないから彼らの勇気はジャーナリストにこそふさわしいかもしれない。テロなんかやめてジャーナリストになってほしいな。これからどうなるかはわからないが一番必要になっていくのは恐怖を乗り越えて勇気をもって突っ込んでいくジャーナリストみたいな人かもしれない。
 戦争報道を眺めていたら変なところへ行ってしまいました。

 どのように進歩したとしても社会は人間たちのコミュニケーションの循環であるから価値中立的に科学的に人間を観察してどのようなタイプの人間がいてどういう性質を持っていてどういう行動特性を持っているのかを知ることが重要になるだろう。人間の組織の内部的合理性から影響をほとんど受けないような人もいるかもしれないし組織にべったりという人もいる。このようなことを考慮して組織を構成する人間たちのタイプが偏らないようにしていくことが重要になるかもしれない。これは内部的な合理性とはバッティングするだろうが必要なことだろう。政治的には重要なことになるかもしれない。目的を持った組織という人間集団と自然発生的な遊びや趣味の世界のこどもの集団のようなところから出てくる友達関係といった組織横断的な緩い集団が交差する場所がだんだん出てくるようになればいいね。。

 内部的な合理性はいつ止まるのだろうか止まることを知らないのだろうか止めることは無理なのだろうか。エコーチェンバーが働いて内部的な合理性がそこかしこで成長する。教育がある程度行き届いて読み書きができてさまざまな情報に自分からふれることが出来るようになることでさらにこういうことが起こるようになったように見えたりする。内部的な合理性の支配は窮屈で嫌なはずだけれどもこれをひっくり返すことは難しい。なまじ理解力というかリテラシー能力というかそういうものが自分に有利だということから身につけたりするとろくなことにはならない気がする。
 
 昔のお笑い芸人で大スターになったひとには読み書きができない人がよくいたという。空気が読めなくて内部的な合理性なんてさっぱりわかんない。こういう人が内部的な合理性を一気にひっくり返すのだった。
 人前で芸をすることの時間の方が日常生活の時間をはるかに超えてしまって非日常の世界から芸を見せに来る。内部的な合理性にまったく影響されないどこからか知らないところからやってきて戸口にあらわれる遍歴する神のような存在なのだろう。
 ハロウィンなんかが若い人に人気なのはひょっとしてそういう遍歴する神みたいな存在たちに出会えるような気分になれるからなのかもしれない。内部的な合理性人間にとってはただのはた迷惑でうんざりだろうがないよりましなんだろうきっと。もともとは子供のお祭りでこどもは戸口にあらわれる神さまで丁重にお迎えしないといけない。日本のハロウィンではオトナみたいになった人がやってくる。そうだとしてもかれらを丁重にお迎えしないといけない。そうしないとあばれちゃうからねっていうわけだ。生まれてこの方丁重にお迎えしてもらえないので丁重にお迎えしてくれるまでハロウィンは大人の祭りなのだ。がんばってコスプレしてやってきた人にはどこでもタダでおいしいものを食べてもらってうまい酒をふるまっていい気分になってもらって独特の芸を見せてもらいましょう。そうやってみんなと一緒に帰っていただく。そうやって内部的な合理性なんて糞食らえだってさけんで踊って盛り上がる。大企業も行政も大盤振る舞いしてくれたらな警察はもっと友好的にふるまってもらいたいな一日くらい丁重にお迎えしないといけないですよ。

 それぞれの集団の内部的な合理性なんてことが日常に染み出して知られるようになると不適応であることが不適応でなくなることが起こる。シグナルが知られるようになれば予測ができる気がするので安心ではある。しかし社会に不適応である人が出てくることがある意味では社会の健全さでもあってそこでフィードバックが働いて社会の崩壊を防ぐようなことが可能になる。おかしなことだがそういう不適応者が一定数出てくることがその社会の希望になるようなこと、ほとんど不適応者が出てこないとなるとそれは問題で何かおかしな力が働いていることなのかもしれず危険なのかもしれない。問題のない家族とか問題のない組織とかの方が実は問題でコミュニケーションの循環がうまくいっていないだけなのかもしれないから問題あるのは歓迎することかもしれない。でもない方がいいけど。
 近未来の社会は技術的にどんどん洗練されていくので不適応者が出てきにくい環境になるかもしれないけれどそれは問題が解決することとはどこか違う。それは問題が別の問題へ姿を変えていくだけかもしれない。そのときに「問題を解決する」ということが果たして良いことなのかわからなくなっていくのかもしれない。むしろ問題が変容していく方がいいのかもしれない。

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