さくら咲く
昨日、東京でソメイヨシノの開花宣言が発表された。
今年全国3位、東京としては史上昨年に引き続き一番早いそうだ。
毎年思うのだが、ソメイヨシノの開花宣言は、どうしてあんなにも仰々しいのだろう。
たかが花、それも標本木なんて各地に作っちゃって、その標本木に花が数輪咲いたと言うだけ。
そこに気象庁の職員がやってきて、おもむろに目視し、開花宣言を真っ先に聞こうとする人々がやってくる。
今日は3輪だからダメです、ため息となったり、翌日やってきて、10輪開花が認められたので、開花宣言します、拍手となる。
じゃあ昨日咲いていた3輪の立場はどうなるのだ、なんて思ってはいけないらしい。
実際、同じように標本木による紅葉宣言もあるらしいのだが、それは誰も注目しようとしない。
ソメイヨシノじゃなくたって、歴史も古く先に咲く梅の標本木を作って、梅の開花宣言しますって発表したっていいじやないかとも思うのだが、どうもソメイヨシノでなくてはならないらしい。
ソメイヨシノは名前がつけられてまだ120年位しか経っていない新しい品種なのに、何でこんなに待遇がいいのだろう?
淡いさくら色、そして花数も多く一気に咲いて一気に散る。
その様子が人々を盛り上げるのだろうか。
ソメイヨシノはその木で一番最初に咲いた花は、いかに急に寒くなろうと、雪が降ろうと、嵐にボロボロにされようと、その木で最後の花が咲くまでは、自然に散ることは決してないそうだ。
その律儀さには感心し、好きになってもいいかもなと思う。
木そのものの寿命も短く100年はもたないそうだ。
樹齢何千年と言われるエドヒカンサクラの老木の様な、圧倒される迫力はない。
ソメイヨシノのよさは、何と言ってもやはり並木が一斉に咲き、春風にヒラヒラと舞い散ってしまう、1週間か 10日かの短命にあるのだろう。
まだかまだかと待ち焦がれ、あっという間に潔く散る。
まさに江戸で品種改良されたらしいサクラではないか。