10歳の時から人生変わった、その12
あれから40年
この日、私は、こばと寮の門を40年ぶりにくぐった。
あれから40年、私は50歳になっていた。50歳の私はら何にも変わっていない真四角の建物に立っていた。
私はあのバス旅行の経験から、みんなで何かする幸せを味合うことが好きで、保育士をしながら社会活動をしていて、いろんな人の後押しで、三十代で市民派の市議会議員となっていた。女性の地位向上やDV被害者の支援など党派を超えて女性議員たちと頑張っていた。DV被害者の本格的支援のために母子自立支援センターを位置付け、制度化しようと、その日こばと寮に女性議員たちと視察に行ったのである。今は公立から民間委託されていて、社会福祉法人が運営しており、地域に開かれた施設となっているとの説明を受けた。説明を受けながら、私の耳にはあの時のひでこの母ちゃんの声や、太田先生の馬鹿でかい関西弁が聞こえてきて全く説明が入らなかった。みんなどうしているのだろう、ただみんなのあの雪の中の笑顔を思い出しながら、幸せでいてほしいなぁと願った。
庭に出て、ここで夏はお祭りや冬はお餅つきをするのだと言う説明を聞いていた時、空にバタバタとはためく鳩の群れが目に入った。
みんなで飛んでる鳩たちがあのバスの中のみんなのようだった。確かにあの時みんな一緒に飛べたのだ。次に飛ぶときは一人でも、
あの時みんなで飛べた事は嘘ではないのだ。
「私も飛べたよ」と空の鳩たちにそっと呟いた。
青空に羽ばたく鳩たちが小さく小さくなっていった。