おかみ

こんにちは♪ 60歳で24年続けた仕事に区切りをつけ、今は資格をいかして某私立保育園でばあちゃん保育士をしています。時間に余裕ができたのでいろいろ書いてみようかと!よかったらお付き合いください

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最近の記事

まさかのアラカン,アイドル沼にハマる その4

 その4  ふみのりくん。   ふみのりくんは、バディーズの年長でリーダー。バディーズの最年少のふみやくんとは、10歳以上も歳が離れている。   それなのに、全くえらぶらないし、みんなとフラットなのだ。そして、リーダーとしても全体を見回せるし、一人ひとりへの気配りもすごい。   いつも感謝の言葉を口にする。ジョークがいつも、空回りするのはご愛嬌。   バディーズに入る前は他のグループで頑張ってたりと下積みも長いせいか、とてもとても謙虚である。彼がいるからまとまっているバディー

    • まさかのアラカン,アイドルにはまる!その3

        その3 しゆーとくん      もーリーの弟のしゆーとくん。はじめ、TikTokでは、顔出さずひたすらお兄ちゃんに問いかけてカメラを回していた。その反応が本当にお兄ちゃんが好きでいいとこ引き出したいという思いが伝わってきて、しゆーとくんとおんなじように、もーりーの一言一言に反応し笑っていた。でもよくよく考えるとそのプロデュース力というか,本当はとても賢い子なのではないかと思った。そのうち顔出しし始め,韓国のアイドルのような,小動物のようなしゅーとくんに、おばちゃんは、やら

      • まさかのアラカン,アイドル沼にハマる、その2

            その2  もーリー沼      なんと言っても最初にハマったのは,自分の家のリビングやキッチンから配信する自然体なもーりーくん。弟くんのしゅーとくんが兄の特質をよく分かってて上手にいいところを引き出している。ただのイケメンだけでなくいろんなことができる,歌も上手,ピアノも弾ける,マジックもできる,お笑いもできる,真剣に将来のことなど真面目に語る,そして家族愛が強い!    まずはとにかく歌が上手い!2人のデュオ,YouTubeでいっぱい上がってるから見てほしい。   

        • まさかのアラカン,アイドル沼にはまる その1

            その1  すべてはコロナから   全てはコロナで変わってしまった。それまでは自分で言うのもなんなんですが,バリバリ仕事をしていた。子どもたちも全て結婚して,別世帯を持ち,夫と二人暮らし。仕事に打ち込むしかないような毎日だった。定年を前に肩書ももらい幹部の方で色々責任ある仕事をしていた。   ところが2020年1月,コロナが流行り始めて、そして総理の学校を含め休業宣言で、お家時間が増えたのだ。いつもよる9時に帰っても,夫が「今日は早いなぁ」と言う生活だったのに,突然家にいな

          脳から消えた姉の話・ファイナル

               母の葬儀    2011年2月に母が死んだ。姉が選んだ高級な特別養護老人ホームにずっと入っていたのだ,とても綺麗な建物で羽毛布団で,元総理の母も入っている施設だとずっと自慢していた。それなのになんと,最後はトイレにほったらかしにされて亡くなったのだ。私はそれだけでも頭に来ていた。見栄えは古くても介護の質の良いところに、せめて入れてくれていればなどと思ってしまう。  そして葬儀になって驚いたのは、なんと母の宗教でなく、姉が入っている変なキリスト教系の振興宗教で葬儀をや

          脳から消えた姉の話・ファイナル

          脳から消えた姉の話、その10

            母が倒れた  ところがその子が3歳になった頃母が脳の病気で倒れたのだ。  入院が長引き,付き添いなど順番にしていた。  私も小さな3人の子供を抱え、仕事もしていたので週末くらいしか行けなかったのを避難された。  母は半年くらい意識が戻らず戻っても介護度4でもとの母には戻らなかった。  母が入院中に姉がしたことは、母の保険金と母の退職の手続きをして得た退職金を手元に寄せたこと。私にはなんの相談もなく。  そしてそのお金で、あっという間に家ゆ家をリフォームした。バリアフリー

          脳から消えた姉の話、その10

          脳から消えた姉の話,その9

          、子育て中の交流    私は長女を産んだあと2年ごとに男の子を2人授かり,3人の子どもの母親になった。共働きということもあり,時々母にヘルプを求めることもあった。  姉にも私が長女を産んだ2年後くらいに女の子を授かった。  今でも覚えているのだが,出産後お祝いに病院に駆けつけた時の姉の顔が暗かったのだ。  赤ちゃんは女の子で夫さんにそっくりの和風な顔立ちだった。  姉は私に似てない,美人ではない,一つも可愛いとは思えないと言ったのだ。  耳を疑った^^  それでもうちの子にと

          脳から消えた姉の話,その9

          脳から消えた姉の話、その8

           八、お互いの結婚    23歳の時、私はいわゆる授かり婚で、結婚することになった。  姉より早く結婚することになったのだ。彼と実家に挨拶に行った。その頃の姉は,例の社長の息子とは別れて平凡な男性と付き合い始めた頃だったのだ。  私の彼の緊張からくるわざと冗談を行ったり軽い感じに話をする態度が、最初から気に入らなかったのか,狐目の男は嫌いだとか,ケチばかりつけてきた。母には相当結婚の順番が違うと怒ったらしい。そして今まで友達やボーイフレンドを姉に紹介するたびに,その人たちから

          脳から消えた姉の話、その8

          脳から消えた姉の話,その7

          ,7 家を出てから。     18歳で私は家を出た。福祉施設に勤めたいと言う夢を叶えるために、総合福祉施設の中にある専門学校に入り保育士資格を取るために。  朝6時から施設でバイトして、9時から夕方まで学校,そして夜もバイト。週末はボランティアか、おじさんのスナックでバイトと,私の青春は忙しかった。  そして充実していた。姉はその頃教会の幼稚園の先生になったばかりで,私のことには関心がなかった。  そして20歳になってそこの総合福祉施設の障害児保育の保育士として就職した。  

          脳から消えた姉の話,その7

          脳から消えた姉の話,その5

          あの男      私が中学生になっても,母とあの男の関係は続いていた。私達が年頃になって流石に泊まることはなくなり,ご飯を食べたら帰ることが多くなった。   あの男が来る夜は私はろくに口も聞かずにご飯だけ食べてあとは部屋に篭りひたすら帰るのを待っていた。 姉はあの男が来る日は、部活とか高校生になるとバイトとかで、帰って来なくなった,あの男が帰ったあと遅くに帰るようになった。なので,あの男から私を守るとか嫌な時間を共有して乗り越えようとかそう言う感覚はなかったのだろう。   そ

          脳から消えた姉の話,その5

          脳から消えた姉の話、その5

          ✳︎ネグレクトされた夏  市営住宅に引っ越した時は小学6年生の夏休みだった。市内だけど学区が違うので私も小学校を,姉は中学校を転校しなければならなかった。今思えば、あの夏休みだけが、周りに知り合いのいないあの夏休みだけ、姉が私のことを気にしてくれた気がする。  母がどうしても仕事で一泊のお出かけをするので、お姉ちゃんと2人でこの部屋から出ずにお利口にしていて待っていて欲しい。どうしても子どもは連れて行けれないからと。  お姉ちゃんがいいならお姉ちゃんと一緒に待つと私は答えたの

          脳から消えた姉の話、その5

          脳から消えた姉の話、その四

             四、たった2人の姉妹なのに  私が小学校五年生の時に,親が離婚した。  その頃から母は,これからはたった2人の姉妹なんだから仲良くと何度も言っていた。  そして姉には,お姉ちゃんなんだから,お母さんの代わりに妹の面倒見るように,なんかあったら妹を守るようにとも。  それが姉にはプレッシャーで余計,妹の私を突き放すようになった。私は,姉にそこまでプレッシャーがかかっているのを知らなかったので、姉に甘えようとしていた。なんでも頼ろうとしていた。  当時親の離婚直後は母子支

          脳から消えた姉の話、その四

          脳から消えた姉の話、その3

          お試し行動  小さい時から,姉と心の交流みたいな感じができておらず、一緒に遊びに行っても楽しかったねと、共感することもなかった。  そんなある日、私が足を骨折したことがあったのだ?その時,母から「お姉ちゃんが心配して、みっちゃん,かわいそうに」と言ってたよと聞かされた。  私はそんなこと本当にあの姉が言ったのだろうかと不思議でならなかった。  そこでわざと,姉の前で足が痛いから何もできないと,本を取ってきてくれとか、トイレに行くのに手を貸してとか頼んでみた。  すると最初の3

          脳から消えた姉の話、その3

          脳から消えた姉の話、その2

           ニ、学童期       小学校に入ると2学年上に姉がいるのに登校班でも離れて歩いていたのを覚えている。とにかく学校では知らん顔なのだ。妹だと認めたくないのであろう。   姉は誰と仲がいいとかはわからなかったが、とにかくいつも一緒にいた梢ちゃんの悪口をよく言っていた。ハーフで美人の梢ちゃん、外から見ると仲の良い美人同士の同級生と思われていたが、姉はよくハーフの梢ちゃんのおばあちゃんとお母さんの日本人離れした顔が気持ち悪いだの、お父さんがいないことなど、とにかく自分より下に見て

          脳から消えた姉の話、その2

          脳から消えた姉の話 その一

           一、幼少期。  父は小さなお好み焼き屋をしていた。母はそれを手伝っていた。他に家族は父方のおばあちゃん、父の妹。  母からすると姑と小姑のいるところに嫁ぎ、姑は脳溢血で倒れたばかり。介護に、、店の仕事に,子育てにと大変な毎日だったと聞いている。その上、私は生まれたばかりと言う、まさに、てんてこ舞い。昭和40年代のその頃は戦争の名残から大きな繊維工場があり、たくさんの女工さんがいて、商売は繁盛していた。当時2歳の姉は大きな瞳が可愛くお店のアイドルだったそうだ。  生まれた時か

          脳から消えた姉の話 その一

          脳から消えた姉の話・前文

          私には確かに2つ違いの姉がいた。  いや、今もいるのだ。15年近くあっていないが、死んだとは聞いていない。それでも会いたいとかどうしてるのだろうかとか考えたこともない。希薄といえばそれまでだが希薄なのである。  いつから?と言われたら小さな時からなのか、18まで一緒に育ったのに、写真見ても記憶の中に姉との触れ合いは少ししが残っていない。どうしてこうなったのか、考えてみたくなり、ペンを取ってみる。さあどこから書こうか。普通の姉妹とどこが違っていたの。検証してみたくなったのだ。

          脳から消えた姉の話・前文