感情の共有の意義

人間は他者との共有を望んでいる。


他者と共有するのは体験だけではなく、感情も共有したいと願っている。
Twitterがあれほど世界でしようされているのはそのリツイート機能があるからである。「バズ」を求める根底にもこの他者との共有という願望がある。自分が「バズ」を生み出せれば、自分が共有の中心になることができる。
私たちが旅行に行ったとしてもその体験を共有したりする人がいなければその旅行の楽しさは薄れてしまう。逆に友人と近場でBBQをするという旅行に比べたら小さな出来事でもそれを友人と共有できるのならば私たちは満足感を得られる。

自分一人で楽しむ事も大事だが、それ以上にそうした体験を他者と共有したいのが人間なのである。


感情の共有とは「他者の考えていることを知る」ことでもある。
他者の考えを知る事は、協力をする事で社会を作り上げてきた人間にとって非常に重要なことである。感情の共有がなぜ重要なのかというと、脅威やチャンスに集団として適切に対処するにはそれに対して皆が同じ感情を持つことが必要だからである。なぜなら、他者の考えを知ることができれば、この後に相手がどんな行動を取るかを予測することができる。そして、予測した上で、自分が他者にとって意味のある行動を取ることができれば自分はその他者にとって、さらには集団にとって、必要な存在として認めてもらうことに繋がる。自分の存在意義が認められれば、集団の中での自らの位置を確保する事もできるようになる。そうすれば生存の確率も高くなる。
他者の考えを知ることで自分の生存にも有利に働くのである。

体験の共有だけでなく、その時感じた「感情の共有」もさらに重要である。
人が面白いと感じたり、有意義だと感じる話には、感情を共有する場面がたくさんある。


例えば「怖い話」を考えてみる。
どんな話が怖いかと一言でいうと、「その場面を自分が追体験できるかどうか」であると思う。追体験というのは自分がその場にいなかったのにも関わらず、まるでその場で直接体験したかのように感じる事である。
そうした話を私たちは「リアリティがある」とか「夢に出てきそう」などということがある。このリアリティを作り出しているのは、「お化け」そのものではなく、話者がその時に感じた「感情」を追体験しているからではないだろうか。
感情を共有することでリアリティが増大する。

感情的な物語を共有した時に相手が無関心な反応をしたり、予想とは正反対の感情を示したときに私たちは何よりも腹を立てる。
女性の話に「正論」で返す男が嫌われるのは、女性が欲しかった感情(反応)はそうしたものではなく、その時に彼女が感じた感情なのである。


女性がそうした感情の共有を求める傾向にあるのは、女性が子育てを担当する時代が男性よりも相対的に長かったからではないだろうか。
子育てというのは人間が最も他者との協力を必要とする行為の一つである。
自分の子どもに対して抱いている感情(可愛い、大切、かけがえのないものなど)を他者と共有できない相手には、我が子を安心して任せることができない。だからこそ、女性は自分がどう感じたかを相手と共有することで、相手もそれをどう感じたかを確認するのではないだろうか。

その反面、男性は相手がどう思っているかは関係なく、事実を優先する傾向にある。

これも人間の進化という観点から考察してみると、男性は長らく、狩りを担当してきた。その中で他者との協力する能力を進化させてきた。男性が重要だったのは相手の感情ではなく、現実の共有だった。狩りを成功させるのに相手の感情(やる気がある、思いやりがある)よりも実際の能力(体力、視力、投擲力)などの方が重要だったはずだ。むしろ、「情に流されて」判断を下すことは狩りの失敗や、最悪、死に繋がる事もあったはずである。
そうした進化から、むしろ男性は「感情」を意識的に排除して、現実を優先させるように進化したのかもしれない。

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