ノートは紙か、パソコンか

大学に行って授業に出ると、私の周囲の学生の9割以上、
たぶんほぼ全員が、パソコンでノートをとっている。
私もパソコンでノートをとる。
私自身、IT業界に長年奉職した過去において、
教育現場へのパソコン導入や普及に少なからず加担したし、
今の仕事でも、もちろん議事録はパソコンでとるし、
なにせ一日の大半はパソコンに向かって仕事をしているわけなので
授業ノートをパソコンでとるのは〈当たり前〉のよう気がするが、
実のところは、これには大いに違和感を感じている。それは、
大学に仕事をしに来ているわけではないから。
逆に言うと、今の学生は〈仕事をするように〉
情報加工の練習ばかり、やらされているんではないの?

もうちょっとしたら、仕事から完全に引退してフルタイム学生になる。
そしたら時間ができるはずだから、そのときは、
授業のノートは全部手書きにする。

今はとにかく時間がない。
まだM1だから授業多めだし、貧乏根性で授業とりまくってるし。
授業にはコメントシート出したり、レポート書いたりで。
とにかく効率重視でいくしかない。〈情報確保 → 即二次利用〉
タイプして、ちょっと書き換えて、さくっとアウトプットできるのは、
せいぜいが情報編集の結果だけ。考えたり迂回するような痕跡がない。
まぁ、世の中の仕事っていうのは、そういうものばかり求めてくる。
こちとら、そんな効率世界からオサラバしたくて大学に来てるというのに。

今の若い人はみんなパソコンでノートをとっているのか?
京都で(人文系の)大学院生をやっているZ世代に訊いてみた。
「やっぱ、そっちでも、みんなパソコンでノートとってるの?」
「いや、私のまわりはみんな手書きのノートだよ。第一、パソコンでノートとってたら、どうやって考えるの?」

それよ…。そのとおりよ。どうやって考えるの?
考えるためのノートなのか、それ。
考える時に大事なのは、脇の落書きだったり、
自由な位置取りで自由な大きさ・太さで、歪んだり、間違ったり、
書き直したりたりした、文字や線や図、だったりするわけで。
パソコンには漢字を書き間違う自由すらない、じゃないですか。
あとで味わうべき思考の痕跡がどこにも残らない。

たぶん「パソコンでノート」は、世代とか時代とかじゃなくて、
そこで「何が最も重要視されているか」で決まるんじゃないか。
細かい話をすると、「パソコンでノート」を一気に促進したのは、
コロナ禍だったと思う。オンライン授業が増えた。
大学のLMS(学習管理システム)も、それを支える方向で進化した。
先生もオンライン授業のために資料をつくるようになった。
オンライン授業であっても関心を持って参加したことを示せるよう
「授業コメントを当日中に提出せよ」といった、先生側の工夫が増えた。
結果、学生はとにかく即出せるようなテキストを確保するようになった。
私の周囲で観察できるのは、そういうことなのかなと推察している。

そういう大学もあれば、そうでない大学もあるということで。
文化の違いといえば、それまでだが、
これはかなり重要かつ深淵な違いを生むのではないかと思う。

ノートが手書きであるべきなのは、どうしてか。
それはたぶん〈考える〉ことに伴う〈身体性〉と関係している。
そのことについては、別の機会に書くことにする。






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