フェードアウトする「会社員生活」と、フェードインする「学生生活ふたたび」
定年を機に大学で学び始める人が増えている。
今から5年ほど前、昔の会社の先輩だった方が60歳で定年退職したの
を機に大学院生になったのを facebookで知った。その投稿を読んで、
50代後半だった私は刺激を受けた。
「そうだ! 私もいっちょその線で行ってみよーか」と思った。
とは言え、その当時、我が娘は大学進学前で進路に悩んでおり、
そこから数年間、どれだけお金がかかるのかもわからず、
まぁ自分の「進路」なんかは「また、そのうち」の課題だなと、
その気持ちは箱にしまい蓋をして、押し入れにつっこんでおいた。
それから4年経ったのが昨年。
娘は大学4年生で、大学院をめざすことになった。
私は会社員として、60歳を迎えた。つまりは「役職定年」。
そのタイミングで、私は「押し入れにつっこんでおいた気持ち」を
箱から取り出して、温め直した。「これ、まだ使えるかな...」
秋には二人とも大学院を受験し、今年の春から二人とも大学院生になった。
ところで、大学院生になるためには、なんらかの研究テーマが要る。
本来的には、研究テーマがあるから大学院生になる。
温め直さないといけないのは「学生になりたいかどうか」ではなくて、
そのテーマの方。
それは「何が何でも、私がやりたいこと」なのか、どうか。
それは他人に話してみたところで、説得力のある、やる意味のありそうな
テーマなのか、どうか。
さらに言うと、他人から(特に高名な先生から)、
「それって意味あるの」と言われたとしても、
挫けずに、いやいや、誰もまだ気づいてないけども「意味あるんです」
と言えるくらい、自分にとっては重要な、
テーマなのか、どうか。
そんなテーマって、しばらく「うぅ~ん」と唸りながら考えたところで、
何かが閃いて出てくるわけではない。空白から創造を絞り出すようなものでもない。その人なりのテーマ、言い換えるなら、その人なりの「問い」というのは、実際には誰にでも既にある。あるのだけれど、それをどうやって
発掘するかというのが、私的「定年の課題」なのかもしれない。
その人なりの「問い」って何か?
その「問い」の源には、誰でも、子どもの頃に、
もう出会っているんじゃないかと思っている。
出会ってはいるのだけれど、「子ども」はそれを言語化できない。
カテゴライズしたり、体系化したりして、
知識として発展させることは、できない。けれど、
何かの拍子に「子ども」が発する問いの中には、
大人をハッとさせる哲学的な煌めきがある。
やがて学校教育を受け、(常識や)知識を身につけ、
大人になり、日常を生きている間に、
そういう「煌めくような問い」は消えてしまう。
どんなに「ハッとするような問い」を発した「子ども」も、
いつの間にかそれを忘れてしまう。だけれど、実はその人の中で、
どこかには、ちゃんと潜んでいる、とも思う。
その人なりの「問い」の種は、その人に棲みついた常在菌のごとく、
心のどこかにはずっと潜んでおり、ここまで生きてきた世界との交流の中で、折に触れ「あれっ?」という違和感をつくり、心をつつく。
そういうものが、どこかにある。
ただ、日常生活の重要事にはならない。
そういう微妙に蠢く疑問は「ちょっと気になる」だけのこととして、
どこかに素朴な形でしまわれて、溜め込まれる。
しかし、どこかには、その「違和感」たちが眠っている。
それらを温め直してやる。
何十年かの眠りから覚めさせる。
そうすると、なんらかの化学反応が起きたり、合成されたり、
結晶化したりして、はじめて、その人がどうしても問いたいと言える
テーマとなって、ゆっくり、じわじわ、立ち上がってくる。
そういうものではないかと、この歳になって思うようになった。
そんな風に思うようになったきっかけは、私の積読(つんどく)経験。
買っただけで積まれた本、本、本。場所だけとって読みもせず。
まったくの無駄遣い。放置したままの自分にあきれるばかり。
なのだけど。この歳になって、学生生活を再開して数か月が経った頃。
「ん!? これ要チェックだぞ!」と〈直感的に〉思う文献に出会い、
アマゾンで検索すると、なんとその本の購入履歴が表示される。
その本、出版されて直ぐ、私は既に「購入済み」でした、
という事案が多発したのだ。見ればどれも5000円を超える本たち。
購入時点で気軽には買っていないはず。
なのに、ずっと放置されること10数年。
すでに絶版になっているものもある。
その時に買っておいてよかったと10数年の時を経て思う。
「やっと読まれる時が来たよ、君たち」
「ここで、こうして、出会い直すためだったのかもね」
「いや、ほんと、お待たせしたね」
「やっと機が熟したのかな」
そうやって出会い直した本たちが語りかけてくる。
「あれやこれやと、フラフラするでない」
「ほら、お前の関心の芯はここにあるだろ?」
「ほら、ここに還れ。これを読め、なう!」
寝かせたワインみたいに沁みてくれるだろうか、
10年物、15年物の積読。
私の中に潜んでいる「問い」の常在菌は、
継続的に私に高い本を買わせ、積ませておき、
時を経た今「ほら、これ、読め」とつついてくる。
ちゃんとつついてくる「奴ら」が活きている限り、
これから先は「奴ら」が頼り。
そうして続く、私の学生生活。どうなることやら。