老眼ネタ
60代で院生やっている人は,最近まったく珍しくない。
どの授業に出ても〈ご同輩〉と思しき方々をお見受けする。
そんな人たちに聞いたわけではないけれど,きっとみんなお悩みじゃないかと思うのが〈老眼〉。
本の見開き2ページを縮小してA4コピーした配布資料とか,
手元に回ってくると,ちょっと凹む。後から自分でA3コピーし直すとか,
写真に撮ってズームするとか。いろいろ苦労あり。
さて,〈老眼〉はつらいが,読めるように加工すれば何とかなる。
もっと厳しいのは〈眼精疲労〉だ。仕事おわって夕方から,
「さぁ読むぞ!と本を開く。読む気満々で向学心溢れる60代が,
いざ視線を文字に落とすと,あらら,なんかじわっと涙が湧いてくる。
目が〈もう勘弁してくだせぇ〉とばかりに泣き出しそう。
〈あー,ごめん,お疲れなんだね〉えんきんサプリ飲もう,
一番高そうな目薬買ってきて,やんわり温めて労おう,
なんぞするのだけれど,画期的な効果は感じない。
何が悔しいって,心も体もエネルギーに充ちて「やるぞ」って
なっているのに,眼だけがショボショボしてる。
この状況,何とかしないと。
そんなわけで〈老眼〉まわりのネット検索に耽っていたら,
なんか近年の遠近両用メガネがすごい,みたいな宣伝をどんどん目にして
しまい,一つ見ると,次から次に飛び込んでくる現代のネット広告の罠に
まんまと嵌ってしまい,新しい(自分的最高価格の)遠近両用メガネを
作ってしまったという話。でも良いレンズって,確かに良い!その話。
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新しいメガネに変えたら眼精疲労が劇的に改善した。
そこで気づいたことをメモしとく。
【その1】この年齢で抱える問題は、視力そのものより「ピント調節に使う筋肉の疲労」。手元であれ、室内であれ、遠方であれ、暗かったり眩しかったりする環境であれ、生活圏内でピント合わせに使う目の筋肉運動をどう補佐して楽にできるかが決め手。
【その2】通常「視力が落ちたな」と実感するのは、何かを判読しようとして読めないとき。それは意識的に情報を確認しようとする時の話だけど、意識していなくても、目の方は周囲の世界を判別しようとノンストップで働き続けている。その結果、一日の終盤には年相応に疲労している。累進多焦点レンズを細かくフィットさせることで顕著に効果を感じられるのは、手元や遠方が(局所的に)はっきり見える(読める)ということよりも、その〈中間〉や〈視線移動〉の領域、つまり、あまり意識的に判読しようとはしていないけれど、目は無意識に不断のスキャンを続けているような周辺領域が、各段に楽に見えると感じられること。別の言い方をすると、文字やシンボルの判別を強いられない周辺対象物は、実は老化に伴って徐々にクリアに視えなくなっていた,けれど自分では気づいていなかった。そしてこれを視るための筋肉負荷が重たくなっていた。にもかかわらず、実害を認識できていなかった。
【その3】結局「疲労」はシステミックに構成される。「視力」は、〈近視〉〈老眼〉〈乱視〉の各項目を測る指標の組み合わせで捉えられがちだけど、それは従来のレンズ設計を前提にしている。本来の「視力」はもっとホリスティックなもの。という、考えたら当たり前の結論。この指標だけから見たら、私の視力はそんなにわるくない。視力は両目(裸眼)で0.9くらい見えているし,老眼の程度は最も軽い+1.0あたりだ。それでも眼精疲労は相当にQOLに響いていた。筋肉疲労が問題だったと納得。
【余談】仕事柄、組織の疲労について考えることがある。これも同じかもしれない。従業員サーベイなどで組織の健全性を診ようとするけれど、リニアな指標にこだわると、どうして疲弊しているか,見失うことも多いような。