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 インド夢の中へ6


*遠足



 
 6日目はマイソールに遠足の日で、朝6時半に集合だった。ショーバナとアヌラタとガンガと私は一緒にホテルを出ると、近くの売店で珈琲を飲んだ。アヌラタがみんなの分を払ってくれた。それから前日習ったインドの歌をハマーラ、ハマーラと歌いながらバスを待っていたのだが、1時間以上遅れてバスは来た。どこをどう行ったのか、マイソールのマハラジャの夏の離宮というところに向かっていた。


途中山の上の女神の寺院に寄った。バスを降りるとすぐ裸足にならなくてはならなかった。寺の中で火をもらい、粉を顔につけた。インド人は何か聖水のようなものを飲んで、顔につけていた。

「あちらを見なさい」とガイドに言われた。何かありがたいものを拝まないといけないようだった。洞窟のような奥まった部屋に行者が居た。それがいやに大きな人なのだった。何か鏡の仕掛けで大きく見えたのだろうか? それとも本当に大きな人だったのだろうか? 私はそちらに進んでいきそうになり、押しとどめられた。私だけに大きく見えているのだろうか?
「誰なのか? もしや角は生えてないだろうか」と私は思った。一角仙人が待ち伏せしていてもいいような気がした。

お賽銭をあげないといけないようだったが大勢の人に押し出されてしまった。
出口のところで中国人の発表者ユーツェンに出したかどうか聞いたら「10ルピー」と言った。そのまま立ち去るとご利益がないような気がしたので、私は丁度来たガイドのクマールさんから渡してもらった。

そして途中巨大な牛の像のあるところに行った。
それはナンディだった。シヴァ神の乗り物。
北京から来ている研究者と写真をうつした。彼の雅楽についてのレジメには人名のまちがいがあったが言わなかった。いつものわたしなら言っただろうが、なぜかなにかに吸い込まれていた。


油入れの値段を交渉中のガンガは3つ買ったうちの一つをお土産にと私にくれた。
また途中バスが止まった。木の下で、みんなはココナツの実から直接ジュースを飲んだ。私一人飲まないでいたら、「美味しいのに。飲みなさい」と勧められたが、「わたしの胃腸は弱いので」と固辞した。バスの中でお腹が変になったら最悪だった。私はこれまでにその経験豊富だった。アテネからデルフィまでのバス、仁川からソウルまでのバスの悲惨な思い出。

マハラジャの宮殿はゴージャスだった。何があったか覚えられないくらい珍しいものがたくさんあった。中には日本の甲冑などもあり、一つの部屋には動物の剥製がいっぱいあった。虎やサイやワニ。象の頭。キリンが後向きで腰から上半身だけの姿。気の毒だが、全身は部屋に入りきらなかったのだろう。

 インド人は血液型はB型が多いという。それにあの早口。親切で親しく話してくるところ。マイソールでサリーとショールを買ってバスに帰った時、アシュワナラヤン夫人がその袋を持ってくれたのだが、当然のように中の品物を出して吟味していた。日本人はどんな趣味なのよ、ふーんと言った感じである。そして自分の座席に座ったら、隣のガンガがまた当然のように中を見て、包み紙がくしゃくしゃになってしまった。そして「これいくらだった?」と聞く。「値打ちやね」と言ったような気もする。私が自然に頭の中で大阪弁に翻訳していたか、ガンガがもともと大阪の人だったのか、私自身が全く南インドに馴染んでいたということになる。
その美しいサリーは白地に金の刺繍、ショールは薄荷色の地に金銀の刺繍のものだった。それが着物になるか帯になるか知人のダンサーの舞台衣装になるかあてもなく購入した。



* 踊る噴水
 
 ガンガにラーガを一つ教えて欲しいと言って、バスの中で譜を書いてもらった。それはMohanaという5音音階のラーガで、女神の歌ということだった。リズムはRupakaという6拍子で、掌と指を使うリズムの取り方も教えてもらった。そういえば、はるか昔学生時代に民族音楽の授業で小泉文夫先生から習ったと思い出した。
そして今度は日本の歌を教えて欲しいと言われて、「さくら」など知っているのかと思ったら知らなかった。一般的にも彼女たちは日本のことはほとんど知らないようで、「スシ」も知らなかった。ところが、「四季の歌」を知っていた。昔この歌の旋律のルーツが中央アジアの国にあるという内容の番組をTVで見たことがあったのをおぼろげに思い出した。しかし、また別の記憶では、この歌は日本人の作曲で、近年中国で歌われて広がったということであった。ガンガはどこから知ったのか、私が歌ったら、一緒に歌い出したのである。歌っているのはタミル語かヒンズー語か聞きそびれた。


一方ガンガの隣に座っていたタンザニア人のミュージシャンのパウルは日本のディズニーランドに行ったことがあり、寿司も食べたという。故郷に妻子がいるというので、子供を連れて行ったのかと聞いたら、「自分だけ」とのこと。そして、彼らの幸せを願わずにはいられないと言う。テクスタイルデザイナーだという奥さんの為にサリーを買っていた。


 バスはどこかの川のほとりに着いた。川の中に行者らしい人がいた。古い知人のキンベリンさんが足を水につけていた。「〜、気持ちがいいから」と勧められたが、私はやめておいた。こんなところで流されては、と思ったのである。それに行者も怪しい。河童ではないから水中に引き込まれはすまいが、君子危うきに近寄らず。




 ブリンダバン植物園に着いた時はもう暗かった。これから踊る噴水を見るのだという。
たくさんの人なので、みんなはぐれないように、もしはぐれたら入り口に集まると言われても、その場所がわかるかどうか。と、アヌラタが私の手を引いてくれた。アヌラタはガンダーラの仏像のような顔立ちだった。「こちらですよ」とばかりに誘導してくれて、まるで仏様に手を引かれているようだった。そして石段の上に並んで座って、音楽に合わせてくねくね踊る噴水を見た。これは夢の中の景色だった。人々のざわめきと、夜の中で咲いているらしい花。薔薇とジャスミンの匂い。私は遥々夢の中に来たらしいと思われた。


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