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インド夢の中へ3  *夕食なし *ゴビンダ

*夕食なし

 3日目の朝のスクールバスで、隣に座っていたシスターに、ホテルのそばに生えている木がジャカランタに似ていたのでそうかと聞いたら、それはフォレスト·ツリーというのだと教えてくれた。
そして鍵事件を語ると、英語ではなく、カンナダ語かタミル語でみんなに向かって「彼女はトイレの鍵が開かなくて閉じ込められた」と言ったらしく、オー·マイ·ゴッドの声がさざ波のように広がった。
私を贔屓にしてくれているガンガは「そんなときはすぐ私に電話しなさい」と言ったが、電話はバスルームの外にあるのだった。

 プレゼンの数は60件、発表者が3つのホテルに分かれて滞在していた。能楽堂くらいの広さのホールで、500席くらいの感じだったが、発表しなくても見に来ている人がかなりいて、席はかなりいっぱいになっていた。

私がまたしてもパソコンを持って、係のJ氏と打ち合わせをし、変圧器がバチッと言ったことも告げると、彼は「バチッ?」と言って笑った。
私はMacで、会場はWinという違いの他に、テクストをKeynoteで作ってあるのが、うまく出るかどうかわからなかった。最初の日に私がMacOS Xというと、J氏はケラケラ笑って、「ノープロブレム。マックオーエステーン? ハー? 」と言って私の真似をするのだった。このIT都市のバンガロールをどう思ってるねん?という感じで言った。

午後から22音のナンビラジャン氏、ウッポラのアッサム民謡とダンス、ショーバナのカルナタカのヴィーナ作曲家、ガンガのマハラジャ·スワティの作品について発表を見たあと、ホールでパソコンのつながり具合を試してみたが、どうしてもキーノートが二つの画面に分かれて出ている。

夜は英語劇があった。
Flame of the Forest という王の争いとバラタナーティヤムの踊り子が絡んでいるらしい話を見て、すっかり疲れ、その後学会主催のディナーというものがあったがキャンセルして一人先に車で送られて帰った。眠くてたまらなかった。
主催者たちは菜食主義者で、ランチもスパイシーな野菜カレーとチーズとケーキのようなもの、コーヒー、マサラティーというようなのが毎日出ていた。
ディナーにビールが出る可能性はないと思われた。
だから帰ったという訳ではないのだが。


*ゴビンダ

 2日目のランチの時だった。私はたまたま側の机にお皿を置いて立って食べていたが、20代らしい青年が隣にいて食べていた。
と、突然青年がExcuse meと言うのである。塩など回すものもなし、なんだろう? ひょっとして自分の飲んでいる水が青年のだったのだろうか? 
私はキョロキョロした。何か荷物を踏んでいる訳でもなし、私はI am Japaneseと言って、何か説明をしてくれないかと思った。
と、青年は赤面しているではないですか。私は訳が分からず、I’m sorry と言って食事を終えて立ち去ったのだった。

そしてバスでホテルに帰る時、その青年が乗ってきた。実はその時私はその美しい青年がなんだか怖かったのである。
ところが、乗っている他のインド人が彼に手を貸している。その後から母親らしい老婦人が乗ってきた。青年は目が悪かったのだ。 
私には全くそんな風には見えていなかった。ランチの時彼は私を事情のわかったインド人と思って介添えを頼んだのであろうか。申し訳ない。しかし本当に全く目の悪い人には見えなかったのである。
 
 そして学会の最後の夜、発表者で残っていた人たちが、トラストグループの人の家に招待されたときのこと、それはルーフバルコニーで開かれたパーティーで、何人もの料理人たちが頭にシャワーキャップのようなものを被って料理していた。
豪華な料理が次々と出てきた。
家の主人がワインを持って出てきた。お酒は飲まない人たちかと思ったらそうでもなかった。

夜も更けた時、「~が歌うぞ」と言った方にみんなが集まり、そこにあの青年が座っていて彼の歌声が流れていった。
その中から私が聞き取れたのは「ゴビンダ」と言う言葉だった。
ゴビンダとはクリシュナ神のことだ、とは次の日ガンガに教えてもらったのである。
マイソールに日帰り遠足があり、そのバスの中で私は思い出すままに浅川マキの歌う「ゴビンダ」を歌ってみた。するとみんなに「なぜその歌を知っているのか」と驚かれた。しかしその時まで私はゴビンダの意味を知らなかったのである。

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