インド夢の中へ5
*Mr.J
この滞在を通じて順調にことが運んだのは、J氏と出会ったことが幸運の鍵だった。彼は日本に住んだことがあり、東京でレコード会社に勤めていたという。
シンジュク?とかアカサカミツケ?とかの地名をポロポロと思い出し、当時はホテルに住んでいて、毎日会社の車が送迎したという。どういう人なのだろう?
日本人の苗字をいくつか口にし、どんな場合も「さん」をつけるのは正しいのかと聞いて、プレゼンのテストをしていたとき、「ノー、ノー、〜さん」「ジャスト·ウエイト、〜さん」と指導され、うまくいかないで焦っていると、「コーフィー·ブレイク?」と言い、頭を左右に振ってリズムをとって歩いて行く。
5日目は午後から楽器店でインドの笛バンスリーを購入しようと私は思っていた。学校にもこの期間、CD、DVD、本を販売に来ていて、いくつか買ったが、楽器は楽器店に行かなくてはならなかった。
JK氏はドライバーをよこしてくれるという。また運転手の車にひとり乗って行くのも不安で、「ドライバーの名前は?」と聞くと「クマール」という。
「同じ名前?」というと、自分はジャヤクマールで、みんなはJKと呼ぶという。あとで知りあった奥さんですら夫のことをJKと言っていた。
そして7時から理事の人が家に呼んでくれているので、ノートにプランを書いてくれた。
3:00 driver pin →flute→5:00hotel
6:00driver→ 6:30会社→7:00 dinner party
学校の近くにパーティー会場も彼の自宅もあるとのことだった。
そういえば小学生の高学年と低学年のふたりの子供が会場によく遊びに来ていた。
インドの子供たちは無垢なかわいらしさで、女の子に名前をきいたら、ヴァイデーヒと書いてくれた。小さな扇子をあげると「わたしに?」といってとても喜んだ。
しかし弟が扇子を横に広げてだめにしそうだった。
「どうやって広げるの」と女の子がきいたので「こう」とわたしは手前から向こうに広げて見せた。
「なにをするものか」とも聞いてきた。 インドには扇子がないのだろうか。
そして乗せてもらって行った楽器店はナショナルカレッジの隣ということだったが、なかなかわからなくて、ドライバーは時々私を車に残して何処かへ行ってしまったり、あるいは車から降ろして、道で待っていてくれと言って車ごと何処かへ行ってなかなか帰ってこなかった。
あたりは大きな木とヒンズー寺院、人はたくさん歩いているが、今ここで置き去りにされたら、まるで夢の中から出られないようだと思った。
ドライバーが送ってくれて帰りに私を降ろしたのはもう一つのホテル·トリニティ·インだった。ここではない、と言ってそれからまた乗せてもらって本当のホテルに着いた。
*インドの歌
ディナー・パーティ会場に早く着いたので、応接室に案内されて、ソファで待っているとその家の主が出てきて少し会話をしていたら、「あなたの国はお金持ちですか?」と聞かれた。
想定外の質問に、私は「ノット·ソー·リッチ」と言っておいた。
ばらくするとみんながやってきた。
発表者のショーバナ、ガンガ、アヌラタとアシュワナラヤン夫人。
女性は女性ばかりのテーブルになっていた。
私の隣に座っていた人たちが誰なのかあとからJ夫人に写真を見せて聞いたところによると、メールをやりとりしていたバラスブラマニアム氏夫人とクマール夫人だった。皆宝石を身につけていた。
「日本人はイアリングをしないの?」とガンガに言われた。
額や鼻にまで宝石をつけるインド人からしたら「なぜ?」と思われたのかもしれない。
その上日本人はパーティーにまで小型リュックを持っていて料理を取りに行く時も
肌身からはなさない。
J氏がにこにこして「椅子に置いておけば?」と言っていたが、その中には能管がはいっていた。どうしても椅子に置いておけないのであった。
宴もたけなわになり、それからゴビンダのところに続くのだが、女性たちともかなりしゃべった後、私はすぐ覚えられる短いインドの歌を教えて欲しいと彼女たちに言った。するとしばし考えて紙に書いて歌ってくれた。何回も歌っていると、周りの人たちも一緒に歌い出した。
歌はヒンズー語で教えてくれたが、英訳も書いてくれた。
Saare Jahan Se Accha
Hindustan hamara
hum Bulbulen hai Us Ki
Yeh Gulsitan hamara hamara
Better than all paces
is our India
We are all butterflies
In this bouquet/garden
どこよりもいい場所は
我らのインド
我らはみんな蝶々
この花束の中の/ この庭の中の