視線を合わせない奇妙な映画『ゲアトルーズ』映画の様式美 カール・テオドア・ドライヤー監督の遺作
カール・テオドア・ドライヤーの遺作。ゲアトルーズという名前が何度もいろんな男から愛を込めて呼ばれる。愛と欲望に生きた女性の物語である。奇妙なほどに徹底して「視線を合わせない」映画である。
ゲアトルーズが弁護士の現在の夫カニングをはじめ、恋人である作曲家のエアラン、詩人である元恋人のガブリエル、夫と別れてパリで一緒に勉強した友達など、さまざまな男たちと二人で会話をする映画であるのだが、その二人の会話において、ほとんど視線はぶつからない。どちらか、あるいは二人とも別々の宙を見つめ、お互いの目を見つめ合う場面は恋人と愛を交わすわずかな瞬間しかない。ほとんど相手との気持ちがすれ違っているのだ。そして、その目線が交わらない二人を長回しのツーショットで写し続ける。二人の会話をワンショットでそれぞれの目線を切り返す場面は、最初に夫との会話で数カットあるだけである。夫がゲアトルーズの恋人の存在を疑う場面である。それ以外は、視線が交わらない長回しのツーショットである。ワンシーン・ワンカット。二人の顔をカメラがパンしたり、ゲアトルーズが他の椅子などに移ったり、登場人物が移動して会話が続くが、カメラはそれぞれの表情を切り返さずに、同じ画面の中の二人を写し続ける。お互い別々の方向を向いて。特にゲアトルーズが前方を見つめ、奥で元恋人のガブリエルが左横を向いているタテ構図の二人の会話シーンが印象的だ。
大臣になるという夫とゲアトルーズの会話から映画は始まるのだが、ゲアトルーズは夫を避けるように、明らかに視線を外す不自然さにまず驚かされる。夫は何度かゲアトルーズを視線で追いかけるのだが、ゲアトルーズはそっぽを向くばかりだ。こんなにも視線を合わさない夫婦って・・・。彼女の気持ちが夫にないことが明らかだ。そして昔の恋人の写真が新聞に載っていることを夫から知らされ、ゲアトルーズは元恋人の新聞の写真を見る。あるいは、元恋人から贈ってもらったという思い出の鏡を見る。ゲアトルーズの鏡のショットはしばしば使われ、彼女が目の前にいる相手と向き合っていないことが象徴的に示される。
恋人の部屋でのゲアトルーズが服を脱ぐ場面を壁に映る影で表現したり、元恋人の祝賀パーティーで気を失って倒れる場面など官能的な場面はあるのだが、なんと言っても宙を見つめるゲアトルーズの虚ろな表情がなんとも言えない。愛を求めつつ、思ったようには愛を得られず、男たちに愛を求められても、すでにそこに愛はない。肉欲だけが空しく彼女に残る。すれ違った時間。そしてラスト、時が経過して老いた孤独な姿をさらしつつ、静かな死を受け入れようとしている。愛に生きた人生を振り返りながら。
とにかく視線が交わらずに、ただただ宙を見つめるしかない愛を求めた女の孤独が浮き上がる艶めかしい映画である。
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