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配信ドラマ『さよならのつづき』黒崎博×岡田惠和~純愛ドラマ・映画についての考察~

「さよならのつづき」2024年11月14日よりNetflixにて世界独占配信

Netflixで北海道の小樽、余市・ニセコ・古平ロケなどがあった恋愛ドラマ『さよならのつづき』を見たので、恋愛ドラマ、それも純愛ドラマについて少し考えてみた。純愛ドラマは現代では成立しづらくなっている。いつでも会うとこができ、いつでも連絡を取ることが出来る携帯電話・スマホを誰もが持つようになってから、「すれ違い」のドラマが作りづらくなった。恋愛ドラマの基本は「すれ違い」と「制約(枷)」である。「制約」とは、『ロミオとジュリエット』のような身分の違い、あるいは男女の社会的立場や置かれている状況によって、出会ってはならない二人が出会ってしまい恋に落ちるパターンである。禁断の恋というやつである。身分制度が厳しかった時代に「心中もの」を生みだし、結婚制度の縛りから「不倫の恋」も生みだした。「戦争もの」もまた、社会的な制約が男女の恋を困難にする意味では「制約」である。さらに「時間的制約」、「あと何年生きられる?」といった不治の病による「時間的制約」が純愛を生んでいく。身体が不自由なことを制約とする純愛のパターンもあるし、事件や事故の悲劇、時間的制約を「タイムスリップもの」や「死者たち(幽霊)」を登場させて、愛を描くパターンもある。時間が逆行するなんていう山田太一の小説(『飛ぶ夢をしばらく見ない』)もあった。いずれにせよ、「純愛」には「制約」が必要なのである。

<ここからネタバレになります>

さて、この純愛ドラマは心臓移植恋愛ファンタジーと言えるような、ほんとうに「そんなことあるの?」といったような医学的にもあまりハッキリしていない事例から、ファンタジーとして作り出した純愛ものである。臓器移植と「記憶転移」を題材にしたフィクションは調べるとこれまでにもいろいろあるらしい。手塚治虫の『ブラックジャック』をはじめ、いくつかの小説や映画・ドラマ・漫画などがあるようだ。ただ現代の医学では否定されているらしい。だからこのドラマはファンタジーとして描いている。心臓移植することによって、味の好みが変わって「コーヒー好き」になり、ドナーの事故の記憶がフラッシュバックしたり、性格が少し変わったり、元恋人が言うようなことを口にしたりする。最愛の恋人(生田斗真)を雪崩の事故で失った有村架純は、偶然知り合った男(坂口健太郎)の身体のなかに、恋人の移植された心臓があることを知り、その男に恋人の影を見出す。そして恋人の影なのか、男そのものなのかわからないまま、坂口健太郎を好きになってしまう話である。

心臓移植の通常レシピエント(受給者)がドナーの家族と接触することは日本で禁じられており、このドラマのように手紙をやり取りすることもまたフィクションなのだろうが、ドナーの恋人である有村架純と心臓移植のレシピエントの坂口健太郎が出会わないと、ドラマは始まらない。だから、様々な偶然をドラマは用意する。ハワイでのピアノ演奏、列車事故中のホームでの時間とコーヒー、駅や本数の少ない列車なども二人の物語を大きく動かしている。「雨宿り」なんていう古典的偶然を運命であったかのような作りにしている。「偶然」を「運命」と感じるような積み重ね。また、それぞれ友達とのやり取りでスマホは使われるが、有村架純と坂口健太郎の間ではスマホでやり取りしない仲という設定にしている。そうでないと、急に妻(中村ゆり)から用事を言われて、坂口健太郎が有村架純の誕生日の夜に会えないという設定が成立しないからだ。

現代の恋愛ドラマを描くにあたって、いかにスマホでの連絡を回避するか考えないと、「すれ違い」ドラマは作れない。最近の純愛ものと言えば、菅田将暉と小松菜奈の『糸』(2020)があったが、これもなぜか二人はスマホで連絡を取り合わない。出会いと別れに運命を感じる二人なので、あえてスマホや携帯で連絡を取り合うようなことをしないとしている。それよりもそれぞれの人生をしっかり描くことで、運命がすれ違うことに観客が疑問を感じさせないようにしている。またNetflixドラマで『初恋』(2024)という満島ひかりと佐藤健の純愛ドラマもあった。これも高校時代に出会った二人だが、二人が思いを遂げるまで20年の歳月をかけて、運命のすれ違いをじっくりと描いていた。二人はスマホで連絡を取るような「野暮なこと」はしないのである。

ちなみにスマホが誰でも持つようになる前の時代では、手紙や家の電話というのが連絡手段であり、ちょっとした手違いで連絡は取れなくなった。だからすれ違いのドラマが多くあった。待ち合わせ場所で恋人が来ないのを何時間も待つようなせつない恋心を描くことができたし、手紙での一方的な片思いを描けた。今はすぐ連絡が取れるので、嘘をつく、スマホを無くすなどの理由をつけて「すれ違い」を演出するしかないのだ。だから、「連絡がつけられるのに連絡がないのはなぜ?」となり、すぐ別れたりもする。会えない時間が思いを募らせる恋など描けないのだ。

このような「恋愛ドラマ」が成立しづらい現代だからこそ、究極の「純愛」が求められているような気がする。身も蓋もない言い方をしてしまえば「純愛」とは幻想である。「制約」があるからこそ、「純愛」は生まれる。二人でいる時間が短く、かけがえのないものだからこそ、その思いは強くなる。ピュアな気持ちが強まっていく。逆に言えば、いつまでも一緒に障害もなく二人がいられるような状況では、「純愛」など描けないし、現実的に成立しない。長い時間を連れ添って生まれていくのは、「純愛」とは別の「時間の積み重ね」による「慈しみ」や「親愛」的な感情である。みんな現代ではありもしない「純愛」を見たいのである。身近に成立しづらいからこそ「純愛」を求める。病気が傷害、社会的・時間的制約をなんらかな形で作り出し、その限られた二人の時間に「純愛」を見出す。

この『さよならのつづき』は、一種の「不倫ドラマ」だが、「心臓移植ファンタジー」にすることによって、単なる「不倫」を超えて、最愛の恋人の影を追い求める純粋さを含んだ恋を描いているのである。美しい映像と旬なキャストによって綴られた配信ドラマはもちろん楽しめたのだが、やはり物足りないものは感じた。

最近、向田邦子の『阿修羅のごとく』(是枝裕和監督)や山田太一の『岸辺のアルバム』の再放送などを見ると、「純粋」とはほど遠い「人間の複雑さ」が描かれていることを感じた。「純愛」などという幻想を描くことよりも、人間の業の深さ、どうにもならなさ、欲望や嫉妬や見栄など、いろんな感情が入り交じっている人間が描かれている。人間の奥行きが深く感じられるのだ。「道ならぬ恋」や「不倫」の裏側にある心の空洞や人間の業が描かれているのである。「純粋さ」ばかりを追い求めると、人間が薄っぺらく感じてしまう。所詮、人間はそんな「純粋」ではないのだから。


原題:Beyond Goodbye
2024年 /日本 /全8話 /13+
配信 :Netflix

監督:黒崎博
脚本:岡田惠和
音楽 :Aska Matsumiya
撮影監督:山田康介
美術 :原田満生
エグゼクティブプロデューサー:岡野真紀子
プロデューサー :黒沢淳、近見哲平
ラインプロデューサー :原田耕治
キャスト:有村架純、坂口健太郎、生田斗真、中村ゆり、三浦友和、奥野瑛太、伊藤歩、古舘寛治、宮崎美子、斉藤由貴、イッセー尾形