「人新世の『資本論』」を読んでみた

話題の書である。かなり踏み込んだ過激な提言だ。気候変動問題に危機意識をもって対峙し、マルクスの「資本論」を読み直しつつ、「脱成長のコミュニズム」社会の到来を提言した本である。

国連のSDGsの取り組みや「緑の経済成長」と言われるグリーンニューディール政策や従来の左派的な主張や反緊縮政策や公共投資や富の再分配だけでは、環境破壊は止まらないと指摘する。格差を拡大した新自由主義だけが問題なのではなく、経済成長そのものを見直し、資本主義システムを見直さないとダメだという主張だ。

「人新世」とは、何か?
人類の経済活動が地球に与えた影響があまりにも大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(ひとしんせい)Anthropocene」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。

先進国は、グローバル・サウスを犠牲にして「豊かな」生活を享受している。資本主義とは、「外部化社会」を作り出し、そこに様々な負担を転嫁してきた。そのグローバル化が地球の隅々まで及んだために、収奪の対象となる「フロンティア」は消滅した。それは労働力だけではなく、地球環境の収奪に及んでいる。資源、エネルギー、食料もグローバル・サウスから奪われており、その無限の経済成長をやめない限り、地球環境の破壊は止まらない。

ガソリン自動車から電気自動車に転換すると言っても、カギとなるのはリチウム電池だ。スマホやパソコンだけでなく、電気自動車にもリチウムイオン電池が不可欠であり、そのためにはレアメタルが大量に必要となる。リチウムはアンデス山脈沿いの地域に埋まっている。そして、アタカマ塩原のあるチリが最大の産出国だそうだ。また、コバルトもリチウムイオン電池には必要で、コバルトの約6割がアフリカの最貧国、コンゴ共和国で採掘されている。いずれにせよ、電気自動車になってCO2排出が削減されても、経済成長をし続ける限り、労働力の搾取と地球的な環境破壊は形を変えて進行する。

広井良典の「定常型社会」や佐伯啓思も、資本主義社会を維持したまま、社会民主主義的な福祉国家政策によって、新自由主義の市場原理主義を飼い馴らそう、そこに持続可能な理念を加え、脱成長・定常型社会への移行が可能になるという考えだ。しかし、斎藤幸平はそのような楽観的予測を否定する。資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動である。繰り返し投資して、財やサービスの生産によって新たな価値を生み出し、利益を上げ、さらに拡大していく。目標実現のためには、世界中の労働力や資源を利用して、新しい市場を開拓し、わずかなビジネスチャンスも見逃さない。

近年進むマルクス主義の再解釈の鍵は<コモン>の共有にある。社会的に管理されるべき富、それは水や電力、住居、医療、教育といった公共財を自分たちで民主主義的に管理することを目指すものだ。マルクスにとってコミュニズムとは、ソ連のような一党独裁国営化体制を意味するものではなかった。地球を<コモン>として管理する考え方。「資本主義による近代化が、人類の解放をもたらす」という「生産力至上主義」の楽観的な「進歩史観」から、後期マルクスにおいてはエコロジカルな理論的転換があるのだという。人間は「労働」によって、「人間と自然」との関係を取り結ぶ。マルクスは「資本論」刊行以降、熱心に自然科学の研究を続け、ヨーロッパ中心主義から決別し、晩年は共同体研究に熱中していたという。そして「持続可能性」と「平等」についての考察を深めたというのだ。

さて、「脱成長コミュニズム」とは、どのように成し遂げられるのか。<コモン>の市民営化の事例として、「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」の存在を挙げる。「自由の国」を拡張するためには、無限の成長だけを追い求め、人々を長時間労働と際限のない消費に駆り立てるシステムを解体し、総量としては、これまでより少なくしか生産されなくても、全体としては幸福で、公正で、持続可能な社会に向けての「自己抑制」を、自発的に行なうべきだ、とする。闇雲の生産力を上げるのではなく、自制によって「必然の国」を縮小していくことが、「自由の国」の拡張につながる、と本書は説く。

トマス・ピケティは、「21世紀の資本」の考えから転換し、「飼い馴らされた資本主義」ではなく、「参加型の社会主義」を主張している。単なる再分配にとどまらない社会主義、生産の場における労働者の自由が不可欠だという主張は、本書の主張とも重なるという。労働のあり方を変えることが、自然環境を救うために決定的に重要なのだ。

誰でも無料に食べてよい「公共の果樹」を植えているデンマークのコペンハーゲンの事例、デトロイトで始まった荒れ地を復活させる都市農業、エッセンシャル・ワーク重視の流れ、バルセロナで進められている「フィアレス・シティ」、自治体の気候非常事態宣言。協同組合による参加型社会が生まれつつある。国境を超える自治体主義は「ミュニシパリズム」と呼ばれ、グローバルに展開しだしている。「食料主権」を「資本」から取り戻し、グローバル・サウスから学び、顔の見える関係であるコミュニティや地方自治体をベースにして信頼関係を回復していくしか道はない。はてさて、この夢のような<コモン>」の市民営化は、本当に成し遂げられるのだろうか。今後の議論が深められていくことを期待したい。

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