『暮らしの豊かさ』は、「近隣でたわいもない話をできる人の数」に比例すると思った話。
見知らぬ土地である滋賀というか関西に引っ越してまる四年が経ちました。
誰も知り合いがおらず、うつになりかけた最初の1年。
いろいろなお店やイベントに顔を出し、滋賀で仕事をし、なるべくあちこちに足を運んだ2-3年。
あ、どーも!と言う挨拶ができるようになってきた4年目。
ようやく、5年目にして地元民レベル以上の情報を持てるようになりました。
そして、なんだか今の生活が楽しいと思える。
もちろん、経済的な充足、健康であること、などのインフラ的要素はさることながら、より幸せを感じるための要素を考えました。
それが、
「近隣でたわいもない会話をできる人の数」
という結論です。(あくまで要素の一つだけど)
多分、豊かさと比例します。
もちろん大の仲良しがそばにいれば心強いですが、それも依存度が高くなると問題が生じることもあります。たまに会うから大切にできるという側面もある。
やはり、「広く弱くつながって生きる」(尊敬するジャーナリスト佐々木俊尚さんの著書)の考え方が今のところ一番しっくりきます。
もう少し丁寧に分解します。
近隣とは?そしてたわいもない話をできる人とは?
車で30分~1時間程度。ご近所や、なじみのお店の店員さんやそこの常連さん、スーパーでよく顔を合わせる店員さん、クリーニング屋のおばちゃん、会社の同僚、趣味仲間など。
こういう人たちが周りにたくさんいるということは、すなわち余暇が充実していたり、所属するコミュニティの豊富さを表すものであります。
これは最近読んだこちらの本でも検証されています。
仕事だけの生活より、いろいろな人たちと接し、新たな刺激や思考に柔軟性を持ち、家族や自分の時間を尊重すること、これこそが豊かな生活につながると書いてあります。(まだ半分しか読んでませんが)
感覚的には多くの人が理解できると思います。
多分、自分自身の存在が認められる場があること、必要とされる機会があることが本質的な理由でしょうか。所属欲求、承認欲求が満たされる状態といえるのかもしれません。
逆の事例を考えてみます。
人生の暗黒ゾーンを振返ってみると、上記のような場が限られており、そこの人間関係がうまくいかなくて逃げ場を失っていた時かなと思います。1つのコミュニティへの依存度が高いとつらいですね。中高生とかまさしくそう。小さい子を育てているお母さんとか、相手との距離感が非常に近い場合もそう。
ここじゃなくても、生きていけるし。
という状態を作ることが大事だと思います。
家にこもるのも好きですが、あちこち出かけてみるのも楽しい。
その方が将来おばあちゃんになったときボケなさそうだ。