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【紅白記事合戦2024】祖母が燃やしたもの


この記事は12月22日(日)に行われる「紅白記事合戦」の参考記事になります。詳細は11月23日(土)に発表します。


私の祖父は七十代前半で亡くなった。
長く患った肺がんが原因だった。


斎場で火葬炉に入りゆく祖父の身体を前に、祖母が壁を叩きながら声を上げて泣く姿を見た。
それまでの人生で、大人が声を上げて泣く姿はドラマや映画でしか見たことはなかった。

中学生の私は、祖父が亡くなった悲しみより、祖母のあの姿を目の当たりにした衝撃の方が大きかった。

それは、今生の別れとはこういうものなのか、と身をもって感じさせてくれた。

祖父と祖母はお見合い結婚だった。
東京大空襲で家が喪失した祖父は、親戚のつてで埼玉の田舎町に移り住んだ。その親戚が、知り合いに歳の近い娘がいると私の祖母を連れてきたそうだ。

祖父は寡黙な人で、祖母はよく喋る人だった。
そんな二人だが仲睦まじく、日本中に旅行へ行き、家ではいつも隣に座っていた。
言葉数は少なくとも、きっと互いに大切に思っているんだろうな。そう思っていた。




祖父の葬儀が終わり少しの日も経たない頃、祖母が庭で何かを燃やしていた。

それは、薄茶色の庭の中で轟々と燃え上がっていた。

祖母はよく、庭で野焼きをしていた。
落ち葉、枝、草、栗のイガ。


野焼きは平成13年から厳格に取り締まられ、例外を除いてしてはいけないこととなっているが、よくうちの庭では野焼きが行われていた。


その日は随分とたくさんのものが燃えていた。
朝から晩まで、祖母はずっと何かを燃やしていた。

炎を見つめる祖母の背中には、嬉しみも悲しみも喜びも寂しさも何もなく、ただただ無が漂っていた。

燃やされているものをよくよく見ると、それらはすべて祖父のものだった。

祖父の服、祖父の帽子、祖父の本、祖父の布団。


私には、分からなかった。
全く理解できなかった。


脳裏に焼き付くほど泣き叫んでいた祖母が、
あれほどまで祖父を慕っていた祖母が、
なぜ祖父のものを燃やすのか。


理解が追いつかない私は、ただただ燃え上がるものを見るしかなかった。 

緑と薄茶色だけが散りばめられた退屈な庭で、綺麗な赤い炎だけが映えていた。

母に何故祖母はあんなことをしたのか、と聞いた。

「女ってそんなもんよ」
母はそっけなく、そう答えた。

全てが灰になったあと、祖母は祖父が亡くなる前と同じように清々しいカラッとした表情に戻っていた。


そして、祖父のものを全て燃やしたあと祖母は十年も生きた。

友達と旅行へ行き、家にたくさん親戚を呼び、大きな庭に畑を耕し、色とりどりの花を植え、祖母はその花たちのように人生を鮮やかに謳歌していた。

私は「女ってそんなもんよ」の意味を探している途中だ。
もしかしたら、答えは見つからないかもしれない。


ただ、夫のものを燃やしたら恨まれそうなので、私はやめておく。


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