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【エッセイ】祖母が死ぬ前に読みたかった本 #創作大賞2024
十代の頃に読んだ本を、
八十を過ぎた晩年に読み返すとどう感じるのだろうか。
ふと、祖母とある小説の話を思い出した。
私は、間違いなくおばあちゃん子だった。
畑に囲まれる田舎の家。
祖父母、両親、四人の兄弟の八人家族の中で私は育った。
母は私たち家族のために毎日家事や育児で忙しく、母の手伝いをするくらいしかコミュニケーションは取れなかった。その代わり祖母と多くの時間を過ごした。
赤ん坊の頃は祖母におんぶされ庭を散歩したり、
畑を耕す祖母の背中を妹と追いかけたり、
お風呂に一緒に入ったり、
編み物をしている祖母とこたつに入り話し込んだり。
父が言うには親戚中ぐるりと見回しても、私が一番祖母の話を聞いているらしい。
祖母は世界恐慌の始まり一九二九年生まれ。
米寿を迎える二〇一七年まで元気に畑仕事をしていて、
「畑にメロンの苗を植えてやるかんな」と声をかけてくれたその日の夜、心臓発作で亡くなった。
一九四一年に始まった太平洋戦争時に青い春を奪われ、落下傘を生産する工場で少女時代を過ごしたと話していた。
"ぜいたくは敵だ"
"欲しがりません。勝つまでは"
戦時中娯楽という娯楽は奪われ、学習の機会も学徒動員で奪われた。仄暗い祖母の青春時代を支えたのは、どうやら本だったようだ。
芥川龍之介、石川啄木、川端康成、島崎藤村、夏目漱石、宮沢賢治。枕草子、源氏物語、方丈記、徒然草、今昔物語。
「戦時中は紙も希少で、本を便所の塵紙にしなきゃならなくて。おばあちゃんは勿体無いなくて塵紙の内容を読んでからお尻を拭いてたっけな」
祖母はカラカラと笑いながら話していた。
祖母は晴耕雨読をその字面通り実行しており、晴れている時はどんなに暑くても畑仕事、雨の日は読書や編み物。亡くなるその日までしっかりとしており、徒然草の冒頭部分や石川啄木の歌などすらすらと暗唱できるような人だった。
そんな祖母がよく口にしていた。
「久米正雄の『破船』を、死ぬまでにもう一度読みたい」と。
祖母は本当にあらゆる本を読んでいた。
先に書いた通り文豪と呼ばれる小説家の本はもちろん、日本の古典から現代文学、ツルゲーネフやヘミングウェイなどの海外小説と読みたいものは何でも読んでいた。
そんな八十余年の人生の中で、祖母は忘れられない本があったようだ。
それは、久米正雄の『破船』という小説だった。
祖母の読書人生の中で強烈に印象に残った作品だそうで、人生の終わりを迎える前に読み返したいと思ったそうだ。
久米正雄とは、芥川龍之介や菊池寛等と文芸雑誌を敢行したことのある小説家・俳人で、
『破船』とは久米正雄と、恩師夏目漱石の娘との破談騒動を描いた私小説のようだ。
祖母は十代のときに『破船』を読み、
もうそれはそれは夢中になったんだよ、
と少女のように目から輝きを放って語っていた。
「また読みたいんだけど、図書館にも古本屋にもなくてね。どうやったら見つかるのかね」
どうやら『破船』は随分昔に絶版となったそうだ。
祖母はインターネットを使ったこともないため、祖母自身の力で確認できる図書館や古本屋を探し周ったそうだ。
だが、『破船』は見つからなかった。
あるときから祖母は焦るように「『破船』を読みたい。どうにか探して欲しい」と私に言うようになった。
「おばあちゃんは百歳まで生きるからそれまでに見つかるよ」と私は呑気な声をかけた。
「いいや、おばあちゃんは八十も過ぎてるしそう長くはないから。まだしっかりしているうちに読みたいんだ」
そう言った祖母の眼は、真っ直ぐと黒く私を見つめていた。
モンペを着ておさげをしている若い祖母が、トイレの中で塵紙になっていく破船を夢中になって読んでいたのかもしれないと想像すると、胸がキュウっと痛んだ。
「おばあちゃん、私『破船』探すよ」
脳内で、おさげの少女がありがとうと言った気がした。
『破船』は先の通り絶版となっていたため、なかなか見つからなかった。
地元だけでなく都会の古本屋に行ったり、本好きの友人に相談したり、Amazonやら楽天ヤフオクやらメルカリやら……と現代の力を駆使して探し回った。
ネットでその本が見つかったと思っても、
すでに売り切れていたり、
久米正雄の違う作品だったり、現代の力を持ってしてもなかなかその本は見つからず。
ただ、そう長くはないと言う祖母にどうしても『破船』を読んで、青春時代を思い出して欲しかった。
おさげの少女が、お願い見つけてね、と手を合わせている。
私は使命感にかられ、『破船』を探し続けた。
そして、とうとうその日が来た。
一年くらい探したところで『破船』の前編、後編それぞれをネットサイトで購入することができたのだ。
「おばあちゃん、『破船』買えたよ」
喜怒哀楽を全身を使って表現する人だったが、例の本を渡したときは子どもが飛び跳ねるような、そんな喜び方をしてくれた。
祖母にはお小遣い、お菓子、おもちゃ、愛、色んなものを貰ってばかりだった。
ただこのとき、ようやく祖母孝行ができたと私の体は喜びで満ちた。
それからは畑に出るのも最低限に、いそいそと座敷の座椅子に腰掛け、『破船』を読み耽っていた。
子どもが「夕飯よ」という母親の呼びかけを無視して漫画の新刊を読み込むような無邪気さと、
思春期の乙女が家族に秘密で好きな男の子と連絡を取るような、そんな煌めきが放たれていた。
祖母は、学生時代通学途中でもトイレでもどこでも本を読んでいたそうで、「あなたは本が体の一部ね」なんて周りから言われていたそうな。
おばあちゃん、こんな姿だったんだろうな。
若い頃のおばあちゃんと話してみたいな。
そんなことを思いながら、祖母の読書風景を眺めていた。
「祖母が死ぬ前に読みたい本」を祖母に渡すことができ、祖母がその小説へ夢中になっている姿を見ることができ、私は喜びと達成感でいっぱいだった。
数日後、祖母は『破船』を閉じ私に言った。
「思っていたのと違う」
一瞬、祖母が何を言っているのか分からなかった。
「娘のときに感じたほど、そんなにいい話じゃなかった」
私は頭が真っ白になった。
死ぬ前に絶対に読みたいと豪語していたのに?
私、一年間も探したのに?
てっきり「十代のときのときめきを思い出したよ」なんて祖母が満面の笑みで言うのかと予想していた。
「どうしてあんなに夢中になって読んでいたんだろうね」
そう言った祖母は寂しそうでも悲しそうでもなく、なにかに吹っ切れたような面持ちをしていた。
祖母が言うには、『破船』を読んでから七十年も生きて 結婚・出産・子育て・嫁姑問題・仕事と色々と人生経験をし、感性も変化したから素晴らしい作品と思えなかったんじゃないか、とのこと。
まぁ、そっか。
内容は久米正雄の婚約破談の話だなら、歳を重ねればそう思うこともあるか。
でも、祖母はカラカラと笑いながら、
「死ぬ前に読めて良かった。素晴らしい作品だったな、また読みたいなと思いつつ読み返せなくて死ぬより、なんだこんな話だったのかって気づくことができたから良かった」
と言っていた。なんだか頼もしかった。
祖母は久米正雄の『破船』を読み終えた翌年、亡くなった。
娘から妻、
妻であり母親、
母親から祖母、
と人生での役割が変わっていく中、人生経験を重ねると感性や考え方も季節のように移ろいでいく。
嬉しいことに。
悲しいことに。
でも、祖母は悲しいとは口にせず、それを「良かった」と言っていた。祖母の人間の深みを感じた。
私はこれからどんな人生を歩むのだろうか。
仕事と家庭の両立で悩むだろう。
夕暮れの空を見て綺麗と感じることがあるだろう。
時代に翻弄され大変な経験をすることもあるだろう。
子どもの成長に感動して涙することもあるだろう。
それら全ての人生をもって、
若い頃に好きだった本や映画や音楽などを振り返ったとき、どのように感じるのだろうか。
人生の最終地点で、自分の感性がどのように変わっているのかな。
ねぇ、おばあちゃん。