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ライフシフト-生きることを大切に/介護との向き合い方

誰も介護は避けて通れない。家族の介護、そしていつかは自分が介護される時が来る。

介護が上手く出来るかどうかは、介護開始時の体制とその後の取り組み方が重要となる。私の経験が皆さんの参考になればと思い、苦労した体験と上手くいっている体験の二つの事例とそれらに基づくノウハウを書く。今回は少々長くなるが皆さんの今後の人生に役立つ内容なので、是非読んでほしい。

1.父の介護:苦難の例/32~37歳の5年間/介護知識ゼロ

「俺の命はあと5年らしい」

もう30年近く前の話。実家の母から「話があるから都合の良い時にうちに来て」と電話があった。何だろうと思いつつ数日後に訪ねると、当時72歳の父が絞り出すような声で話してくれた。「俺の命はあと5年らしい」
まるでドラマの1シーン。まさか自分が直面するとは思ってもいなかった。

そこからは父の癌との長い戦いが始まった。手術や放射線治療などで入退院を繰り返したが、病弱な母に代わり私が度々休暇を取って運転手と介添えを担った。

父の願い

そんな日々の中、父が「もう先が無いなら世界中を旅してみたい」と言いだした。現役時代は高度成長期の企業戦士として超多忙で家にはほとんどいない父だった。しかし旅行が好きで、毎年必ず家族を国内のあちらこちらに連れていってくれていた。愛車のスバル360に家族5人で乗り込んで、日本中を旅したことは良い思い出である。

父の願いを実現出来ないか探したところ、船旅なら船医が常駐しており必要な投薬も管理できると分かった。担当医に相談して体調の落ち着いた時をみはからって船旅を手配した。たださすがに30代の私が1ヶ月以上の長期休暇をとって同行することは出来なかったので、横浜の大桟橋から出航する客船の甲板で手を振る父と母を、五色のテープで妻と二人で見送った。

世界一周の船旅から戻ってきた父はとても満足そうだった。背が高く2枚目の父は船でもご婦人たちに大変人気だったと、母が喜び半分嫉妬半分で話してくれた。沢山の写真とエピソードを嬉しそうに語る父。しかし母によると旅の間に父は何度も体調が悪くなって動けなくなり、苦労の連続だったとのことだった。良い事しか話さないのはやさしく我慢強い父らしかった。

全身転移、そして終末介護へ

月日が経ち父は77歳。私は37歳で商品開発リーダーとして、担当した製品で役員表彰されるなどバリバリ働いていた。この頃には父の癌は全身に転移していて、ついには下半身が自分の意志ではピクリとも動かない状態となった。

最期は家で過ごしたいという希望を叶えるべく在宅介護を選んだ。父は177㎝80kgと非常に大柄であるのに加えて、疼痛コントロールでモルヒネを飲んでいて体の動きも鈍い上に半身不随。更に全身転移で骨がもろくなっていて身体のケアに際しては細心の注意が必要だった。しかし母は151㎝40kgと父の半分しか体重がない上に、30年間に渡る闘病生活でとても病弱だった。母が一人で父を介護をするのはどう考えても不可能だった。

誰かが実家で介護に専念しないとならない。候補者は姉二人と私、そして妻。上の姉は幼児を二人抱えていた。下の姉は介護休職のない会社(当時はそれが普通)に勤めていて介護をするには退職が伴うので、40歳独身の姉には厳しい選択を強いることになる。私と妻は社内結婚で共働きで、まだ2歳の息子がいた。

幸いなことにソニーには介護休職制度があり利用が可能だった。但し25年前の当時は男性の取得実績は無く、申し出た際も人事担当者には「今まで男性で介護休職した人はいない。本当に取るのか?」とあからさまに反対された。しかし上司の同意は得られていたので押し切った。

( 介護休職は上限が90日なので18週間、つまり4ヶ月半後には退職か復職の判断を迫られることになる。そんな自分のキャリアがリセットされる可能性は、父の終末介護でいっぱいいっぱいの私には考える余裕など無かった )

そして次の説得の相手は父で、こちらは会社以上に手強かった。怒った姿を一度も見たことの無い穏やかな父が「息子のお前が、俺の介護のために休職するなんてふざけるな!絶対に受け入れられない!」と声を荒げた。

企業戦士だった父にすれば当然の思いだろう。もし私が父の立場でも同じことを言ったと思う。しかし他に選択肢はなく「もう休職申請は済んでいて決まったことだから.。これは相談ではなく報告」と言ってその場を押し切った。(正式申請の前なので嘘だったが)

壮絶だった末期がんの在宅介護

長くなったのでここから3か月間の詳細は割愛するが、末期癌の終末介護はドラマに出てくるような美談ではなく壮絶な体験の数々だった。当時はまだ国の介護制度も人材も不十分で手探りの状態。世の中の介護者への認知も低かった。介護は専業主婦の嫁の仕事といった認識が大半。そして私は介護が初体験な上に、自分が全て背負わなければと力んで介護に突入していった。

全身の症状が日々悪化して、介護ベッドの上で心身ともに変わり果てていく父。鬱状態が現れたり、昼夜逆転したり、無理難題を何度も言ってきたり。その対応に疲れ果てて最初の意気込みは消えていき、奈落の底に引きずり込まれていくような日々。自分のとった行動や言動など25年経った今でも消えない後悔が幾つも残っている。

介護セミナーで講師として終末介護の体験談を話すと、涙が止まらない受講者がいつも目の前にいる。日頃は口にすることは無くとも介護で悩み苦労している人は意外と多い。

2.母の介護:順調な例/50歳~現在の11年間/介護知識-高


父を見送ってから14年。病弱だった母だがその後は体調も落ち着いていた。絵や写真、ドライフラワーなどを趣味で楽しんだり、パソコンを使うお年寄りとして全国紙に掲載されたりしていた。しかしそんな母も84歳になって足腰が弱り要介護2となった。それでもその後8年近くは何とか自力で動けており、一人暮らしで自由に毎日を過ごしていた。

(傾向として男性に比べ、女性は晩年がとてもたくましい。父や他の男性を見ていて本当にそう思う。男性は弱く儚いのである。「命短し 恋せよ 乙女」改め「命儚き 人生楽しめ 世の男性達」である。これが私がライフシフトを決めた理由の一つでもある)

しかし母は3年前に腰を痛めてから徐々に起きられなくなり、95歳の今では自力では寝返りすら打てず、要介護5の最も重い介護認定の状態になっている。

そうなると多くの人は介護施設に入所するのだが母は違った。「私は寝たきりになっても絶対に介護施設には行かない。最期までお父さんと暮らしたこの家で過ごす」とその意志は揺るがないものだった。父を在宅介護しておいて母にはしないという訳にもいかない。

介護施設

そこで母の意思を尊重すべく介護の体制を早急に整えた。担当のケアマネージャーに相談して、一人暮らしで寝たきりの介護の実現へ向けて具体的な相談をした。25年前の父の時と違って今は制度も、支援する社会の仕組みも大きく進歩している。私自身も父の介護経験に加えて、終活カウンセラー上級の認定者資格を取り、大勢の人々に介護ノウハウを伝えている立場になっていた。

現在の母の介護は、訪問の医師と看護士にリハビリ、そして日に3度のヘルパーの訪問、様々な緊急対応の仕組みを活用している。これらに助けられて、今は週末の介護を姉と私でカバーしながら回せている。それにより介護のために自分の人生を手放すこともなく日々を過ごせている。暗闇をさまよっていた父の介護の時とは別世界である。

二人の記念日

先週の日曜は私の61歳の誕生日だった。母は私に「誕生日おめでとう。今日は早く家に帰って家族とお祝いしないとね」と言った。私は「誕生日の当日のことを覚えているのは僕ではなくお母さん。だから今日は産んでくれてありがとうのお母さんの日だよ」と返した。すると母は久々に声を出して笑いながら「じゃぁ二人の記念日だ」と嬉しそうにしていた。

母は95歳で寝たきり一人暮らしと、認知症が加速してもおかしくない生活を送っている。先日は姉と私のどちらが上か尋ねたり、自分の子どもは2人だよね?と確認してきたり。本当は3人だが、確認するという事は2人だと思ったことに違和感は感じたのだろう。

ここ2年は耳が遠くなり、大好きなテレビも全く見なくなってしまった母。しかし2年前に私の息子がタブレットをプレゼントして以来、ベッドの上でそれを駆使して世間の情報を日々得ている。次回もコロナの状況や世界情勢について色々と聞かされることだろう。今やタブレットを使いこなしている ITおばぁちゃんである。

3.介護の重要性と難しさ


介護知識の重要性

ここまでに書いたように介護を上手く行うには、様々な予備知識を持てるかどうかがとても重要である。今まで1000人以上の人に介護セミナーを実施してきたが、予備知識が無いために追い詰められている人々を何人も見てきた。

介護は教科書的な知識だけでは対処出来ない、十人十色の違いと難しさがある。互いの関係性、住環境、考え方、金銭的状況、誰が介護できるかなど。これらでとるべき方法は大きく変わってくる。そして介護者のメンタルサポートが必要不可欠である。重い話だが介護殺人は年間50人を超える。介護経験者なら何ら疑問に思わない数値だろうし、父の介護の時は私も紙一重だったと思う。

②介護知識習得の壁

もう一つとても難しいことがある。人は介護に直面するまでは、無意識にそこから目をそらし続けるという現実がある。親と電話して怪しいと感じても、うちの親に限ってそんなはずはないと信じたい思いがある。その結果、まさに介護に直面する状態になって、互いに心も体も余裕のない状況での介護スタートになってしまうケースが多いように思う。

以上長くなったが、皆さんはぜひ介護に関して一度でも良いので向き合って欲しい。家族のために、そして何よりも自分のために。

今回の話が少しでも参考になった方はスキ♡して頂ければ幸いである。


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