自己肯定感ド底辺な人間の言い訳
自己肯定感とは何ぞ?と気ままに生きてきたつもりだったのだけど、ちょっと前からよく耳にする気がする。
自己肯定感というのは、要は自分のありのままを認めてあげる感覚のことで、自己肯定感が高い人は主体性があって、自信があって、前向きな考えで、仕事でも活躍して…と、まぁ生きやすいらしい。
色々ネットで記事を読んで思ったのは、
私は自己肯定感ド底辺。
ということだ。
とにかく自分が嫌いなのだ。
もし生まれ変わりがあるとするならば、人間には生まれ変わりたくないほど、自分が嫌いなのだ。
何でこんなに自分が嫌いなんだろうと思って、足りない頭で考えてみたが、
・やる気スイッチが壊れている(起動しない)
・頑張ったところで他にもっと上手な人いるし…と思う
・何をやっても満足できない
・常にイラついてる
いや、なんかもっと色んな理由がある気がするけど、
とにかく何をやってもダメな自分が全然好きになれない。
何やっても中途半端、完璧になれない。だから嫌いなのかなって。
だからって、他人に完璧を求めたりはしない。こんな自分のために何かしてくれた、アクションを起こしてくれたってだけで感謝の気持ちでいっぱいになる。
むしろ夫には、こんな自分と結婚してくれて感謝でしかないし、むしろ何で私と結婚したのか謎だ。家事だって適当だし、なんなら今日も晩御飯作ってないし、いつも私にキレられて…それでも文句を言わない。(いや、言ってるかも。)
自己肯定感が低い人間は生きづらい。
当たり前だ。劣等感しかないのだ。何をするにも躊躇うんだから。生きていていいのか、それさえ躊躇う時もある。
どうしてこんなにも拗らせたかなーと考えるが、何となく思い当たる節はある。
子どもの頃は、比較的少しの努力で何でも卒なくできた。割となんでもそれなりに出来てしまったので、何とかなるっていう根拠の無い自信があった。
中学生になる前に、海外に留学したいと思ってひたすら英語の勉強をした。親は勉強に対して厳しくはなかったが、英語だけは高い英会話スクール代を払っているんだからと口うるさかった。
結局、留学はできなかった。海外に行ってデザインの勉強をしたかったが「アンタを海外に出すなんて恥だ」と言われたのが強かった。私は恥なのか、と強く思ったのがきっかけで、そこから何に向かって生きていけばいいか分からなくなってしまったのだ。
何となく適当に高校に行き、親の言う通りの短大に進学した。海外がダメなら日本の美大に行きたいと伝えたこともあったが、それも否定された。高校に学芸員で来ていた美術の先生には、美大に挑戦してみないか、と打診されていたが、親という壁は、私の前に厚く高くそびえ立っていた。
なんか、こんな事を今更書き出して、全部親のせいにしてる自分も嫌になる。
親のせいにしたい訳じゃない、全部自分の責任なのに、自分は無力だと痛感して何かのせいにしていないと辛くて生きていけないのだ。
結局、親の勧めで入った短大も肌に合わず、在学中にうつ病と診断された。キャンパスにも行けず、ゴミだらけの暗い部屋でテレビだけ点けてぼーっと半年ほど過ごしたこともあった。
短大の友人からも、なんでそんなに自信ないの?って言われた。私も知らない、なんで自信がないかなんて。
うつ病は克服したが、相変わらずの自己肯定感ド底辺。
もう短大を卒業して10年が経ち、仕事もして結婚もして、それなりに普通に生きてるつもりだけど、やっぱり自分になんの自信もない。
なんでこんなことを書き出してるかというと、自己肯定感をド底辺から底辺までに上げたいのだ。せめて「ド」くらいは外せるレベルになりたい。
そのために、思い立ったことは書き出してみようと思ったのだ。
あとは、この駄文がもし誰かの目に留まっていたなら、
子どもの意思は尊重してあげてほしい、ということを伝えたい。 私のような拗らせた人間に育たないように。たくさん褒めて、たくさん認めて、そんな大人が増えて幸せな子どもで溢れて欲しいと思う。
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