見出し画像

2023/11/24 レギュラバニア

大人が趣味としてシルバニアファミリーをコレクションし、楽しんでいる様子を見ると、実家にもあることを思い出す。いや、さすがにもう誰かにあげてしまったかもしれない。
行く末を覚えていないくらい、私は今も昔もシルバニアに興味がない。

興味がないのに、我が家のクリスマスプレゼントは毎年シルバニアと決まっていた。特にリクエストなどを聞かれた覚えはない。
かつての私は、それでも一応プレゼントとして貰ったものに対して喜んでみせただろうか?お礼くらいは言ったかもしれないが、親の方もさしてリアクションを期待していなかったように思う。
「そういうものだから」クリスマスに子どもが喜びそうなものを買い与え、子どもも「そういうもの」として興味もないのに受け取る。改めて思い返すと変な家だったな。

何か経緯があったのか自然消滅したのか覚えていないが、シルバニア固定ルールに則らないクリスマスプレゼントが一度あった。ダンスダンスレボリューション(専用コントローラ付属)だ。
私はゲームをしない。それが最後のクリスマスプレゼントだったように思う。

==========

不眠とは物心つく前からの付き合いだが、未だに思い当たる原因がなく、こんな時間(朝5時)になってから「もしかして、寒すぎるのでは?」と暖房を点けてみたりしている。猫が一日の始まりのテンションでいるが、まだ昨日を終えられてないんだよ……。
温度だけでなく、私は私に起こるあらゆることに鈍い。痛みなど身体的感覚の他に、感情の動きなどもほとんど理解できていない。生身の感情やストレスは確かに発生しているはずなのだが、それを主観的なものとして受け取るための回路が詰まっているべき場所に、ぽっかり空白が空いているような感覚だ。そういう初期不良なのだと思う。
現状に即した言葉が、私の主観的な自我とは無関係に独り歩きし、勝手にコミュニケーションをやっている。

私の認識している私は、常にうっすら上機嫌でのんきなやつである。頭がバグって死ぬことしか考えられなかった時も、私の記憶の中の私はうっすら上機嫌でのんきだった。それ以外の私は記憶に残っていない。

案外シルバニアの謎も、イレギュラーとして記憶に残らなかったのかもしれないな。こういうの、親が存命の内に聞いておくべきなんだろう。