ねぇ、生きててたのしい?4
「高校やめたい」
高2あたり親に言った。
多分かなり勇気を出して言ったかもしれない。度々無断欠席をしたり、サボタージュがひどく、
親も学校楽しくはないのだろうとは感じていたかもしれない。
「高校くらいはでないと社会でやっていけないよ」
しばらく必死の説得が続いた。
あちらからの。
とにかくやめたい私と
とにかくやめさせたくない親
おばまで登場し、私も辞めたかったよ、でも辞めなくて良かったって今は思う
と、不良時代の話をされたりした
今でこそ高校を出てないことにたいするリスクが理解できるのだか
当時はかなり切羽詰まっており
言ってしまえばやめれないなら死にたいくらい辛かったんだと思う
行きたくない学校。友達もいない学校。居場所のない学校。
居場所のない家庭。理解のない親。親と言い合い不穏な家庭環境。妹までが不登校になりだしていた。めちゃくちゃだった。
結局なんだかんだ私は高校を続けることとなった。
どうしてそう決めれたかは忘れた。
ただ、行けと言われたから行ったし、やめることはできないんだな、と悟ってしまったんだと思う
やめれないのか。
やめれないというのは、あの苦しい世界にいつづけなくちゃならないのか。
世の中にはもっと不幸な人がいて、私は通えるだけ恵まれているのか。
高校くらい出ていなきゃ生きていけないのか。今も死にたくても。みたいな思考回路になった気がする。
そのあたりに、小六あたりに興味本位でやっていたリストカットが浮かんだ。
そうか、多分これをやったら学校行けるかも。と思った。
その頃か忘れたのだがかなり粘着質な女の子にまとわりつかれており、その子は私がその子に構わないとすぐに不機嫌になったり、無視された。
それにもほとほと疲れていた。
学校に行くのならリストカットなどの居場所が必要だった。
そうしないと私は生きていけなかったと思う。
当時のアングラサイトでは、リストカットの凄惨さを画像や動画で載せるところがあった。
それをみて、なぜか私は惹かれてしまった。
なにか解決方法を見つけた気がした。
そこから、
「じゃあ卒業する。」
となってから激しい気持ちをリストカットにぶつけた。
そして瀉血という行為も知った。
注射針をネットで購入した。
サイトでやっている人がいて真似た。
左腕の膝裏の血管に添わせてゆっくり刺した。
コツを掴むまで少しかかった気がする。
最初、ポタ、ポタタ……と注射針から血液がこぼれた。
バケツを用意していてそこに落下させた。
赤い点になってどんどん丸が重なっていき大きな血溜まりになっていくのをただ見ていた。
すると心のざわめきが落ち着いた。
血液を抜くと当然体重も減る。
一時期は体重を減らしたくて瀉血することもあった。
健康診断の前には2リットルくらい血を抜いた。
体重測定の個室に行くまでの学校の階段が上がれなくなった。2歩進むだけで動悸や目眩がした。
そのあたりから顔が真っ白になり、まわりから怪訝に思われた。
また、リストカットもしていたが、瀉血のほうが痛くなく達成感があったので、とにかく血を抜くことで生きていた