典型的な気絶した日の日記
テトリスやってたら8時間飛んでた。最悪の気分。こういうのを気絶と呼んでいる。何一つ得ることなく無意味に時間が飛ぶから。
完全に依存症。脳が刺激を欲してやめられない。今日は読書をしようと思っていたのに、出力された結果は8時間のテトリスである。クソすぎる。時計を見てやりすぎだ、もうそろそろやめようと思い始めてから平気で5時間やってしまう。
Kindle Unlimitedで読める。依存症は信頼障害の表出であり、それ自体は本質ではないとして依存症患者との関わり方を考える本。
驚くべきことは、このような一連の出来事や感情の動きが背景にあったと容易に推測できるにもかかわらず、患者本人は再飲酒というアクティング・アウトの引き金について、はじめは何一つ気づくことも語ることもできなかったという点にある。酒乱の養父を目撃していた子どもの頃から、彼はみずからの感情を凍結させ、無視することに慣れすぎていたからであろう。
数クリックでJstris開いてぽこぽことテトリミノを置くと、ドーパミンが爆発する。目的さえなければまだ抗えるのだけど、何か自分の変化を味わっていると止まらなくなってしまう。
脅されているような気分でもある。自意識がテトリスそこそこできる人間として形作られているから、しがみついていないと死ぬ気がする。死への恐怖で走らされている。古の表現で悪いが実力的にはC級から上に行けたことがないくせに、変に自己規定が依存してしまっている。気持ちが悪い。
俺が全然伸びなくなってやる気を無くしてから始めたプレイヤーが余裕で俺より上手いみたいなことが頻発していて、キャッチアップ不可能。本当にガキに負けたくない。
そもそもテトリスを真面目にやることがどういうことか、それなりに知っているので、全然やりたくない。人生にはテトリスより重要なことがたくさんあって、テトリスは俺を幸せにしてくれないのに、なぜもう一度一日の大半を費やす生活ができようか。
何回も何回ももう二度とやらないとwebサイトブロッカーに突っ込んでこの渇きを無視しようと努めているけど、なぜか気付いたら10時間消えている。HIKAKINとかクソアニメとか見てたほうがまだマシなのに。
結局のところコミュニケーションが全てだ。ゲームに命を救われたみたいなことを言うやつがいるが、ゲームに付随したコミュニケーションに救われているだけだ。だから、そのゲームのコミュニティにアクセスできないのにゲームをやるのは意味不明で不合理でHIKAKINより役に立たない。SEIKINがランボルギーニの色をラッピングフィルムで変える動画を見ていたほうが、ビデオゲームよりマシだ。瀬戸康史が細かい不満をネチネチと述べる動画のほうが有意義。ビデオゲームよりUUUM。ジェットダイスケ。
不合理はかっこいい。ビデオゲームは無意味だから、ゲーム上手いやつはすごい。役に立たないことを一生懸命やっててすごいと本気で思う。意味ないことで飯食ってるやつはすごい、という価値観が普遍的に膾炙してる。だから配信者は三食ウーバーイーツ。意味なければ意味ないほど偉い。意味ある仕事してるやつは賤民。20年やって清掃員。
おもしろだけ考えたとしても、あまりにコスパが悪い。せっかく労力を使うならおもしろがれるものを増やしていくのに使うほうがいい。俺がテトリスに感じられるおもしろがすでに伸び切っていると言ったら嘘だが、もっとおもしろがりが伸びることをやれ。今時の若者の40LINEを見て2-4-3で積む練習しても意味がない。
俺が本当にやりたいことは少なくともテトリスではない。次テトリスやったら殺してくれ。楽だから、という理由で一日潰すのをやめろ。