忘却
私たちは忘れることを知っている。忘れられることも知っている。忘却は罪であり、救いでもある。脚色をすれば物語になり、美化すれば芸術にすらなってしまう、おそろしいものだ。
ほんの二週間ほど前、私がここへ来るきっかけになった日のことだ。いつもより早い時間のことだった。ガクンとからだが揺れ、プラスチックに頭をぶつけた。その衝撃で目が覚めた。一度か二度聞いたことのある場所の名前を、抑揚のない音声が読み上げている。どうやら持ち主は、久しぶりに図書館に足を運んでいたらしい。
持ち主は努力家だ。私をたくさん使う。小さくなってしまうけれど、それこそが私の生まれてきた意味を裏付けしてくれる。だから、これからも私を使ってほしいし、最後まであなたを見ていたい。そう思っていた矢先のことだった。
持ち主は、私をその場に残し帰ってしまった。
後ろ姿に何度も叫ぼうとしたが声は出ず、ああ、と泣きだしてしまいそうになったけれど涙は出なかった。払われもしなかった私だったものが、ただ、静かにそこに在って、どうにか十数分ほど前に戻れる術はないものかと考えた。慌てていた。三度目だ。今回がはじめてではない。私は二回も乗り越えてきたのだ。
そうやって自分を励ましているうちに、のちに新たな持ち主となる人物が私を掴んだ。ぐるりと目が回るように景色が一転したかと思えば、視界は一瞬で真っ暗になった。新しい家だ、と思うようにした。わずかに差し込む光を頼りに中を見渡した。新しい家になるだろうこの場所のことを考えれば、少しでも気が紛れると思ったからだ。だが、その作戦は思っていたよりも上手くいかず、溢れ出ることのない涙が溜まり続け、世界はぼやけきってしまった。
新しく私を使ってくれることになった人を、私は拾い主と呼ぶことにした。どうしても持ち主は持ち主のままでいてほしかったからだ。持ち主のことを、忘れてしまいたくなかったからだ。それは二週間経った今でも変わらない。持ち主は私にたくさんの言葉を教えてくれた。色も、歌詞も、異国語も、よくわからない数字を並べたものも。知識として残ることと、思い出は全然違う。と、思う。私は大量生産されているただの消しゴムのうちのひとりだ。彼らの都合で生も死も決まる。老衰できるのは一握りだけだということも知っている。つい期待してしまいがちだが、絶望しながら生きることも難しい。
きっと、持ち主は私がいなくなったことには気付いただろう。さっさと気付いて、もしかしたら図書館に戻ったかもしれないけれど、おそらくは別の私を買って、新品のまっしろい角を汚していくことに躊躇いを覚えながらも進んでいく。私はいくらでもいる。図書館でうっかり忘れてきてしまった私のことなどいつか忘れてしまう。三度目なのに、どうして寂しいのだろう。どうして持ち主だけがこんなにも私の頭で生きているのだろう。
持ち主の前の使用者もその前も、私は確かに泣いたはずだった。私は覚えているけれどきっと彼らは忘れてしまう。それは曲がりのない事実だと思っていた。だが、少し誤解があって、私も彼らを忘れてしまうことがあるのだということに気付いた。安堵と悲しさが入りまじり、忘却はおそろしいばけものになってしまったのだ。