ヤンニョム消えないでチキン

 牛丼を食べに行こうという話になって、二十二時半に吉野家へ行った。明るい蛍光灯の下でチーズの絡まった牛肉を食べながら、私たちは記憶について話した。小学校の同級生の話から、近頃の儚い人間関係の話まで。
 未だに縁が続いている小学校の同級生は、ほとんどTちゃんだけだ。ほとんどというのは、年に一、二回会うグループのうちの数人が小・中・高と同じだからである。だけどそれらは小さな同窓会や習慣のようなもので、Tちゃんとの自主的な交流とは違う。だからほとんど。

 まんぷくー! と言いながら、私たちは空を見ながら歩いた。コンビニへ寄って、悩みまくってアイスを買って、私の家へ向かう。その夜、Tちゃんはうちへ泊まることになっていた。適度に夜更かしをして、ぐっすり眠った。

 次の日は夕方まで喋ったり笑ったりして過ごした。互いにスマホ(おそらくTwitter)を見ている時間があって、ひとりごとに反応が返ってくることが嬉しかった。私ではない言葉が聞こえてくることに、脳が喜んだ。
 同級生の下宿組は、家が近い友達で集まって、ほとんど毎晩一緒にいるらしいのだが、どんなふうに過ごしているのだろう……と考えていた謎が解けた。
 実家通学だった頃の私は、下宿組のつながりの糸の太さが羨ましくて羨ましくて仕方なかった。自分も下宿生だったらな〜「今日なに食べる?」「すき家が好きやwすき家しか勝たんw」っていう会話もできたのにな〜とあれこれ考えていた。
 しかし! 妄想は現実にならなかった。下宿生になった今も、一応近所に留年組が残っているのに、毎日ひとりで霞を食べて生きている。「今日なに食べる?」と、声に出してみる。反応がない ただの白い壁のようだ

 大学には日替わりでキッチンカーが来ていて、半期ごとの契約のようなのだが、二回生の頃からずっと愛食していたヤンニョムチキンカーが、とうとう消えてしまった。
 書道演習のあと、サークルの友人たちと「やっぱ書道終わりはヤンニョムなんよな〜」「ニョムニョム〜」「なに言ってるの……?」と話しながら食べたヤンニョムチキン。まあまあ憂鬱な水曜を癒してくれたヤンニョムチキン。ああ無常
 ちょっと強気な値段設定の新しいキッチンカーでもヤンニョムチキンは売られている。それでいいわけがない。私はあのキッチンカーのヤンニョムチキンが食べたいのだ。私のハッピーエンドの鍵は、あのヤンニョムチキンが握っている。
 唯一よかったことといえば、大切なヤンニョムチキンを失ったことで、小説のネタを思いついたことだ。でもそんな ねえ 失ってからじゃ遅いんだよね わかるか?@自分



 今日はひとりでミュシャ展へ行ってきた。最安価のルートで行くために、歩けるところは歩いたら足が棒になってしまった。朝風呂に入ったとは思えないほど汗だくで、何度も我に返りそうになった。最近「正気を失ったもん勝ちだな」と思う出来事がしばしばあるので、正気と日傘は家に置いてきたのだ。できるだけスマホの充電を残しておこうと、地図は朝のうちに覚えていた。迷うことなく到着できたときは、思わずイマジナリーフレンドとハイタッチして喜んだ。「地図の読める女じゃん!!」「すごーい!!!!」
 絵画鑑賞のコツを知らない私がどうしてミュシャ展へ行ったのかというと、友人と話す口実にしようと考えたからだ。ミュシャ展にはミュージアムショップがある。ミュシャ好きの友人になにかを渡せば、話す時間をつくってもらえるんじゃないか、と思った。少なくとも、小説ならうまくいく。
(数ヶ月前に情緒爆発終わりのエッセイを書いたとき、なぜかnoteをやっていない同級生や後輩に投稿を読んでいただいて、申し訳ないやら気恥ずかしいやらの気持ちで壊れてしまいそうになった経験を踏まえて、この投稿も当該者や知り合いに読んでいただく可能性もゼロではないと考えて、ちゃんと説明しておきますが、友人はとても優しくて面白くて楽しい人です)
 私は一回生の頃からこの友人について「進級しても卒業しても仲良くしたい」と思っていて、何度か本人に伝えたこともある。
 少し前に共通の知り合いといろいろあって、そのあとから友人と距離を感じるようになった。そのいろいろというのは友人に関係することだが、本人に伝わらないようにしたいと感じる内容だった。詳しくは省略させてください。ただ、似たようなことがあって学校に行きづらかった時期がある私にとって、知り合いの悪意のなさはおそろしいし無敵で無意味だ。
 絶対に私が堰き止めておこうと思う一方で、その無意味な塊が、友人と同じ夜にいることが許せなかった。
 悪意がないから自覚もない。だけどそういう盾にしか見えなかった。自覚してほしいわけでもない。
 八月末に知り合いからその内容を知りたいという旨の連絡がきた。教えてくれるなら、橘が友人と仲良くするなって言うんならもう仲良くしないから、とも書いていた。なめてんな〜〜と感じて、返信しなかった。その数日後に二人は旅行へ行った。返信しなくてよかった、と心から思った。

 やはり性別なのかとも考える。最近読んだ小説『白い薔薇の淵まで』のなかに「性別とはどのみち帽子のリボンのようなものだ。意味などない。」という文章があって、印象的でよく覚えている。高校時代の私はクラス分けに意味などないと思っていた、文理選択も。記号と記号の間に棒を引くだけのことだと、思うようにしていた。その思考を思い出した。
 だから私はミュシャ展へ行き、栞を買い、友人のアパートへ向かった。ちゃんと言おう なにを? ちゃんと言おう どこまで? と、脳みそをかき混ぜながら。
 だけど、行けなかった。途中で死人のように泣いてしまって。数日前から喉に張り付いているような気がする何かがいきなり大きくなったような気がして、嘔吐きながら帰った。病院へ行きたかった。喉を切り取ってしまって、完璧じゃなくなれば、諦めがつくような気もした。日本に三途の川という概念があってよかった。

 エッセイの合評で、先生から「素直すぎる」と言われた。それを他学科の友人に話すと「確かに! 言われたこと全部信じそうだし、嘘ついたらダメって思ってそう」と返ってきた。少し前に「レポートに協力してください!」と言われて宗教勧誘に引っかかりそうになって丸一日落ち込んだのもあって、脳が重くなった。
 でも世界のどこかでは橘は嘘つきだと言われているんだろうな と思う。



(追記・という名のオチ)
 中学の同級生たちと粉物を焼く日が近くなってきた。それはもう果てしなく憂鬱すぎる。最初から憂鬱だったわけではないし、楽しみという気持ちが本当にゼロというわけでもない。割合で表すと、たn憂鬱くらい。まあまあですね。
 まず、あまり関わったことのない人がいる。なぜか主催者が「このメンバーで年内一回以上は集まりたい」と言っていて、私が(???)ということは、向こうも(?????)なのだろう。
 はじめは金欠を理由に断ろうとしたが、私の交通費を考慮してくれた主催者が「他県から来てくれる橘と〇〇は材料費出さなくていいよ。他の三人で割り勘するから」と言ってくれて、まあ、じゃあ……という気持ちになった。でもめちゃくちゃ罪悪感の味がしそうだなと思い、「ありがたいけどそれ大丈夫なの?」と送った。主催者からは「自分は大丈夫」と返ってきた。はってなんやねんはって。
 と、おそらく主催者以外は思ったはずだ。そのあと、主催者が「何か不満があるならグループに送って。個人じゃなくて」「話し合って、当日はトラブルなく楽しもう」と送ってきた。
 そんな悪手ある!?!!?!?!??!?
 おそらく割り勘について思うことがあって、でもグループで言うと雰囲気悪くなるかもしれないから個人で言ったのだろう 立場が違えば、私もそうすると思う
 そんな悪手ある!?(二回目)
 数日後、ひとりが「その日検診ある」と言うと、主催者が「予定ないって言ってたのに?」と返していて、悪手のプロか?とおののいてしまった。
 そのまた数日後、主催者が立てた予定を見ると「橘は13:48分駅着で」と書かれていた。全然授業中で草。夕方まで授業があると伝えると「大変だね。遅れてもいいよ」ときて、悪手のプロだ!!!と笑ってしまった。
 当日はどしたん話聞こかをした方がいいのだろうか
 主催者に対して誰も返信しないし、正直酒を七杯飲んでも楽しめるか怪しいくらい雰囲気が良くないので、前日に体調を崩そうかと迷っている。まだ迷っている理由は、一致するまで終われまテンをやりたいからです。このメンバーでなくてもいいんだけど、橘には四人以上を集める力がない
 私も悪手には気をつけようと思います(^_^)/ この投稿が既に悪手か……?

 また素直すぎる日記を書いてしまった

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