いつか灰になる

 どれだけ大切に守っていても、この感情はいつか灰になるのだと、なるしかないのだと、なんとなく分かってしまった。それは私の勘違いかもしれない。まあまあの頻度で生まれる根拠のない思い込み。大抵の場合「考えすぎだよ」と言われるし、どうしてあんなに考えすぎていたんだ、と思う。二十一年間ずっとこう。最近は自覚しているだけまだ良くなった方だろうか。それにしても、成長曲線が緩やかすぎる。いやそんなことはどうだっていい。思い込みであってほしい。

 改行後はひとマス空ける、という余裕があるから、このどうしようもない思い込みは、実はどうにでもできる思い込みなのかもしれないが、ただの癖でしかないような気がする。文芸学科の癖。もしくは守りたいもの。それは時に悪癖である。小説でもなんでもないTwitterで三点リーダを偶数個使っていないと喉がイガイガするとか、文章中に「から」が二回使われているとアナフィラキシーショックを起こすとか。私は同級生がぶっ倒れるところを見たいから、日本語の乱れも崩壊も厭わず、思考の揺蕩うままに打ち込んでいる。でも同級生はぶっ倒れない。当然だ。彼らは日常を飾るために言葉を用いているのだから。

 全く嘘をつかない日がない。一日たりとも。おそらく自我を持ってしまったときから。世界を自分と自分以外に分けるとする。自分は自分のすべてを知っている。自分以外は自分のすべてを知らない。自分以外が笑ったり泣いたりしていると嬉しい。怒ったり悲しんだりしないでほしい。小学生の頃からずっとそうだった。そのとき一番仲の良い友達にだけは本当のことを言ってもいい。オチのない話を飲み込まなくてもいい。自分の規範があるように、世界には自分以外の規範で溢れている。

 高三の二月、近づいてくる卒業のことを考えては、なんだか寂しい気持ちになっていた。好きな人がいた。好きになったきっかけは確かにあるのだが、分かってもらえなさそうなことの説明が億劫で、当時から今まで「顔が好きだった」と話している。今以上に頭がおかしかった高校時代は、私はこの人の顔を見るために生まれてきたのだ! と思っていた。廊下ですれ違う数秒間が日常の糧だった。好きな人、といっても、付き合いたいとはあまり思っていなかった。登下校時に前を通る雑貨屋の、窓から見えるきれいな石を、今日もきれいだと確認するような気持ちだった。
 自由登校になってからは、近所の川へ行って夕方の川面の光をカメラに収めたり、TSUTAYAのDVDコーナーをうろうろしたりしながら、もう会えないのだろうという結論に至ってはふつふつと湧き上がる一方的な寂しさを押し潰していた。その頃の生き甲斐は映画だった。好きな俳優が出演している映画。それらを観ている間だけは、自分以外のことを忘れることができた。
 私は、私の「一生」があてにならないことを知っている。

 ずっと仲良くしたいと思う人と仲良くし続ける才能がない。才能がないなら努力でどうにかするしかないわけだが、自信がない。いろんな人と疎遠になってしまった。音信不通という場合もある。卒業したらどうなってしまうのだろう。あらゆることが変わってしまって、自分だけ2019年の秋に取り残されている。日常の隙間に再生される記憶が、早く消えてなくなりますように。


 早川アキくんかわいいですね

 (またたくさんの嘘をついてしまった)

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