博愛主義者たちの偏愛

 うーん、まあ、でも、自分以外の誰かが自分の言葉を百パーセント正しく理解してくれるのかっていうと不可能だろうし、そうでないなら落ち込んだりするだろうし、誰にもなにも言わないで、無かったことにする方が賢明なんじゃない?

 と、彼は答えた。私の「ぜんぶがつらい。ぜんぶぐちゃぐちゃにしてもいいかな」という感情任せの質問に対して。
「落ち込んだときの橘は隕石みたいになるからなあ。ちょっと深呼吸して、世界は何一つ自分の味方になってくれないことを思い出してみよう」

 彼、といっても、性別はない。私の頭に棲んでいる思考のことだ。イマジナリーフレンドにしては声以外のイメージがなさすぎる。その対話のなかでは、私も姿かたちがない。音のついた言葉の交換。そんなnote書くのやめとけよ、と彼が言っている。

 自分には書くことしかない。書くことがすべてだ。と言っていた同級生たちは殆どが社会人になった。書くことしかないわけがない、とはじめから穿っていたはずなのに、彼らの普通の進化が苦しい。痛い。羨ましい。眩しい。いやどうだっていいかそんなことは! 私のすべてはもっと端の方にある。
 私の好きな人は博愛主義者かもしれない。世界の面白いところを見つけるのがうまい。鮮やかさやモノクロ、それらは大衆的だったりサブカル的だったり、ときどきつまらないと言うのはつまらなくないことを知っているからなのだろう。人間のことも好きだと言っていた。嫌いだと言っていたかもしれない。関心があるらしい。書いていて胃が痛い。最近は、好きな人のことを考えないようにしていたから。

 2015年頃は何を糧に生きていたのだろう。もう覚えていない。2016年から2019年の春までは、当時好きだった人と移動教室のたび渡り廊下ですれ違うことが生きる糧だった。体育の授業がある日でも、それが叶えば一日ハッピーだった。好きな人というか 心の拠り所だったのかもしれない と、今は思う。
 自分を大切にしてくれない人とは別れよう! みたいなのってあるじゃないですか。私あれよくわかんなくて。①世界のほとんどは他者を大切にしていないと思っているし、②自分が自分を大切にしてたらそれでよくない?と思うし、③大切にされたい以上に好きな気持ちが勝つし、④自分を大切にしてくれない人と一緒にいることは、自分を大切にしていないことと同じというのがよくわからない。
 みたいなことを、私は彼に向かって言った。単なる独り言だと捉えられてもよかったのだが、彼はまるで台本を用意していたかのように答えた。「だけど他の人は互いに大切にすることを知っているよ」

 五月が終わったのに五月病が治らない。大学の先生方や同級生曰く、私は五月病らしい。人生というか日々の相談をしに行ったのだけれど、五月病だね〜ということで話が終わった。五月病ちゃうわ!!!!打ち明けたのがたまたま五月やっただけや!!!!とは思ったが、五月病ということで、はじめは安堵した。月が変われば治るから。泥のような気持ちが砂になるはずだから。とかなんとか言っていたら梅雨になってしまった。自分がうつだとは思わないが、うつの人がお風呂に入れなくなるのは本当だと思う。お風呂に入れないまま朝を迎えて、昼になって、それでも動けなくて壁を見つめていたら三限が終わっている日が多くて困った。水曜の出席率。そんなこと書いてしまっていいの? と彼が訊く。知らんもういいよと返す。お風呂に入れないんです、と言うと、大抵の先生が(同級生には怖くて言えない。どういう表情をされるか想像しただけで、肺が縮こまる)えぇ?といったような反応で、すかさず私は付け加える。「授業とか、人と会う日の前は入ってるんですけど」。なんとか。
 知らんもういいよで全部投げ出してしまいたい。好きな人に火をつけたい(魔法で)。めちゃくちゃ謝るから、めちゃくちゃ罵ってほしい。最後くらいパーっとやって、でも最後って何? 私以外の連続性が眩しい。生きている人間のことを考えたくなさすぎる。胃が痛くなる。推しの話をします。

 推しの話をします
 尊い・・・・・・・・・・・・・(文芸生が嫌う…の使い方で草)
 心の拠り所にさせてもらっています。生きている人(もうこれは老若男女関係なく)や今も消化できていない苦しみで脳がいっぱいになりそうになったら、慌てて推しの名前を唱え、推し以外を頭から追い出す。ここ二週間ほどはずっとそれをやっている。推しを推す日々は楽しい。だけど私が望んでいるものは、少し別のところにあって、鋼の心臓がほしい。誰をみても何も思わない・誰にも心を動かされない人間になりたい。

 理解者がほしいって言ってたのはもう諦めたの? 世界がこんなだから? 橘がそんなだから? 疲れちゃった?
 彼が言う。声色から感情が読み取れないのは、私自身が、感情を定めることに躊躇っているからだ。なんか、みんなすごいねえ、と思う。それだけ。
 博愛主義者たちに好かれたい。私を世界の一部にしてほしい。スムーズにお風呂に入れるようになりたい。小説一日五千文字書きたい。おもしれー女って思われたい。私の好きな音楽や映画や小説に意外性を感じてほしい(と同時に、自分の好きなものを誰にも明かしたくない気持ちもある)。胃痛と五月病が治ってほしい。メンヘラ神に会いたい。すべてそれに帰結する気がする。私っていつから五月病なのだろう。2018年くらい?

 彼はまだ何かを言いたそうだったが、彼と話し終わってから、私は世界に火をつけた。こっそり。ぱちぱちと散るまぶしい火花を、誰かに教えたいと思った。


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