がらくた
三叉路で、檜山はわざと右に曲がった。家を出て五分、普通に歩けば約束の時間に充分間に合う。せかせかと歩けば、二分ほど余る。しかし、檜山が選んだのは五分遅れる道だ。
一昨日、美穂から着信があった。大学の講義中で出られなかったのだが、そうでなくとも気づかないふりをしていただろう。後からかけ直すことはせず、メールで用件を尋ねた。久しぶりに会ってみるのはどうか、といった内容だった。
別の高校に進学するまで、檜山と美穂は桜桃のように過ごしてきた。中学卒業後もしばらくは連絡をとっていたが、気がつけば互いの物語から欠落していた。少なくとも今の檜山には、美穂の声や笑い方や口癖を思い出すことができない。
からだじゅうの穴という穴から、汗が噴き出す。日当たりの良い道の、わずかな日陰を歩きながら、檜山は後悔していた。日傘を持ってこなかったこと。黒いシャツを着ていること。歩きづらいサンダルを履いてきたこと。勢いだけで頷いてしまったこと。一度考えはじめると暗い方へ止まらないのは檜山の少し悪い癖だが、それでも、右に曲がったことだけは間違っていると思いたくなかった。
覚えのある通りに出て、檜山はぴたりと足を止めた。四つの自販機が、昔と同じ場所に連なっている。一ミリも移動していないし、ラインナップも変わっていない、あの自販機だ。タバコ自販機、ビール自販機を通りすぎて、檜山は左端の自販機の前に立った。九十円の天然水と迷ったが、百三十円のサイダーを買った。味も炭酸の弾け具合も、あの頃のままだった。
自販機の後ろには、シャッターの上がらない店がある。それは檜山の自我が芽生えた頃からずっとそうだ。ヒントになるような看板もない。自販機四つが収まるくらいの横幅で、奥行きも隣の家の半分ほど。シャッターはところどころが錆びているが、年数のわりには白く、おそらく手入れはされているのだろうと分かる。
何を売っているのか、誰が売っているのか、そもそもこれは店だったのか。この町で知っている人はいるのだろうか。
檜山が小学四年生のとき、美穂は暗算で答えを出すみたいに言った。そのシャッターは年に一度だけ上がり、文房具やパンやお菓子が売られている。店主は三丁目に住んでいる男の人で、よく公園を散歩している。犬を連れていることもある。犬の名前はポピーで、去年店に行ったとき犬がかわいいと言うと、おまけでアイスをもらった。
友人たちは美穂の話に群がり、そのうちのひとりは、年に一度を毎日確かめに行っていた。今年はいつなのかと檜山が訊くと、美穂は残念そうに答えた。今年はもう終わっちゃったんだよね。
びっしょりと汗をかいているサイダーを片手に、檜山は再び歩きはじめる。標識や雑草や表札、とにかく太陽以外のものを見ながら。
安藤、佐々木、山本、藤田、木村、山本……。この町には山本姓が多く、どのコミュニティにも必ず山本さんがいる。小学生の頃、檜山が好きになったのも山本くんだった。彼は私立の中学へ進学したため、檜山の眼裏に浮かぶのは「リレーで一位をとった十一歳の山本くん」だ。
小学六年生の秋、檜山はラブレターを書いた。返事はなかった。言葉のない拒否というものを、檜山はそのときはじめて知った。火球が落ちていくくらいのスピードで、檜山は少しずつ山本を忘れた。
また、檜山の脳が後悔で満ちる。あのとき、あの手紙を、美穂に渡してもらわなければよかった。
この横断歩道を渡って、あの看板を通り過ぎれば美穂の家だ、というところまで来た。ほとんど車通りのない道でも、信号が設置されていれば守らなければいけない。神様が見ているかもしれないから。
ふと、檜山は右足のそばにある黒い物体に気づく。膝を曲げて顔を近づけてみると、蝉の抜け殻のように見えたが、その予想は外れていた。似ているようでまったく違う、蝉の死体だった。
亡くなっている、と、檜山は思った。死んでいる、ではなくて。
檜山はペットボトルで蝉をつついた。反応がないことを確認してから、脚を一本だけ捥いだ。
それを、檜山は美穂の家へ持っていくことにした。さっき蝉の死体が転がっていたから、脚だけもらってきたんだよね。「もらってきた」じゃなくて「取ってきた」の方がいいだろうか?
檜山はありのままを伝えたかった。がらくたな美穂の前で、せめて自分は正直者でありたいのだ。
信号が変わる。檜山はせかせかと歩きだす。