きれいな人のきれいなところが好き
もう会えない人ばかり好きになる。好きになってから、でももう会えないんだよなと思う。もう会えないから好きになる。それは、海を見るときの気持ちに似ている。
「しんどいけど、顔を見たいから学校へ行こう」という気持ちが恋なら、これはそうだ。だけど「ありのままの自分を受け入れてほしい」と思うのが恋なら、これはそうではないのだろう。
久しぶりに大学へ行ったら、なんだかすごく虚無だった。どうしてそう思ったのかは分からない。ずっと前から空っぽだったことを、なぜか今気づいてしまったのかもしれないし、いきなりそうなってしまったのかもしれないし、全部勘違いだったのかもしれない。
とにかく、このもやのかかった何かを拭うために、誰かと会おうと思った。だけど誰と会えばいいか分からなかったから、駅のホームでひとり、コンビニのおにぎりを食べて電車を待つことにした。絶対にひとりではない場所でひとりで過ごす時間は心地いい。私の存在とは無関係に続く変化、たとえば定刻通りにやってくる電車に乗車する人々、少しの間だけがらりとするホーム、そういうわかりやすい変化がありがたかった。
大学の友達に「夏休みはどうだった」と尋ねると、そのほとんどが就活のことを答える。友達の内定が決まれば嬉しいし、めでたいと思う。将来への不安はずっと昔からあって、今更それが焦りへと結びつかない。焦ったり落ち込んでいる友達を見て、えら!!!その気持ちがあるだけで大丈夫だよ!!! と思う。主観的な「大丈夫」は時として人を傷つけるから、きっと友達は大丈夫だと思う。みんな真面目でいい人だから、今はタイミング等が違うだけで、ちゃんと進んでいけるのだろう。しかし、どうして自分は普通になれないのだろう。将来のことにかかわらず、運動神経とか、人間関係とか、視力とか。
21年生きていて表層土壌的な人間関係しか築けていないのは、これまでの自分の言動や思考によるものであって、環境はいつも良いはずだった。
だからときどき、知り合いのいない街で暮らす夢を見るのだろう。
無限に会える人を好きになりたいけど、菅田将暉と村上虹郎の顔を見分けられないような私には難しいのかもしれない。筋肉痛も遅れて来るし。
四割嘘です