三月下旬の所沢
どうして人は、失わないとその大切さに気付けないのだろう。
「梨々香、久しぶり」
「……」
「おれだよ、航だよ」
「……」
「今まで来なかったくせに、急にごめんな」
「……」
「梨々香に言っておきたいことがあって」
「……」
「あの日からさ、おれたちちょっと変わっちゃったじゃん」
「……」
「全然喋んなくなってさ、朝も一緒に行かなくなったりして」
「……」
「……懐かしいな」
「……」
「はじめておれが試合に出た日。マウンドに立つってこういうことなんだ、って感動したのを覚えてるよ」
「……」
「小学生から野球やってて、高二ではじめて試合に出るとか、ホントに今まで何やってたんだって感じだよな」
「……」
「でも、あのときは嬉しくてどうしようもなかった。今までの劣等感とか、焦燥感とか全部吹き飛んで。野球続けててよかった、って心から思えたんだ」
「……」
「なのに結果はぼろ負け。今考えたらさ、野球に力を入れてるわけじゃない公立高校の弱小チームが強豪校に立ち向かうなんて、ドラマか漫画じゃん、って感じだけど」
「……」
「負けたときはホントに悔しかったなぁ。思い返せば勝率はほぼゼロなんだけど、おれ、勝てるかもしれないって思ってバットを振ったんだ」
「……」
「覚えてる? その帰り道、話せないし、笑えないし、おれがほとんど死体みたいだったこと」
「……」
「三途の川を泳いできた、みたいな」
「……」
「不謹慎だな、ごめん」
「……」
「試合のことで頭がいっぱいだった。だんだん目が熱くなってきて、やべえ涙出る、って慌てて上向いたんだよ」
「……」
「そしたら空がすっげえ綺麗でさ、青とオレンジのグラデーションだったんだけど……」
「……」
「あれ見た瞬間、泣けてきちゃって。梨々香が隣で歩いてんのに、おれ、馬鹿だなって思ってた。あのときはごめん」
「……」
「……あのとき、おれ、本当に野球辞めたくなってさ。だから、梨々香に言ったんだ」
「……」
「おれは背が低いし体の線が細いし、野球向けの体じゃないことは分かってた」
「……」
「でも野球が好きだから続けてた」
「……」
「おれには才能がないけど、努力すれば補えるものだと思ってた。甘かった。おれには、努力すれば補えるほどの才能すらなかったんだ」
「……」
「あの試合が終わって、それに気付いた」
「……」
「あのとき、おれが辞めたいって言ったとき、梨々香は怒ったよな」
「……」
「その程度なら辞めちゃえば、って言われたとき、おれはちょっとカッときて、でも言い返す前に梨々香が走って帰っちゃって。言い返すどころか、追いかけることすらできなかった」
「……」
「そのあと、ずっと梨々香の言葉を考えてた。そしたら、なんていうのかな、辞めようと思ってた気持ちがだんだん萎んでいったんだよ」
「……」
「結局おれは引退するまで野球を続けた。梨々香のおかげだよ」
「……」
「おれの弱音を、受け入れないでくれてありがとう」
「……」
「おれ、所沢(ここ)を出て行くんだ」
「……」
「野球が強い大学に受かってさ、関西に行く。今週末引っ越すんだよ。荷造りしてたら写真が出てきたんだ、あのときの試合の」
「……」
「あれからほとんど話せてなかったもんな」
「……」
「梨々香。梨々香の日記見たよ」
「……」
「勝手に読んでごめん。でも、読んでよかった」
「……」
「〝航が本音を言ってくれたのに、私は、航の弱音を受け止められなかった〟って後悔してるなんて、知らなかった」
「……」
「梨々香の言う通り、おれのグローブがボロボロになっていくのを、一番近くで見てたのは梨々香だよ」
「……」
「おれ、もっと、梨々香と話せばよかった」
「……」
「言うのが遅くなってごめん。おれ、梨々香と幼馴染でよかった」
「……」
梨々香の名が刻まれた墓石に向かって、もう一度呼びかけてみる。
返事はまだ無い。
風が吹いて、春の匂いが鼻をかすめる。そのとき、誰かに髪を撫でられたような気がした。
「……梨々香?」
空に呼びかける。
返事は、まだ無い。
ー ー ー
ほかの人の写真とタイトルを組み合わせて創作してみよう、という授業課題で書いたものです。素敵な野球の写真は肖像権のこともあり載せていません。想像が楽しい組み合わせでした。