駅、後ろ姿、高校時代のこと
本当は、もう少し伝えたいことがあった。あなたのこういうところが嫌だった、とか、でも私もこういうことしてごめん、とか。あなたはそれに反論してくれて構わないし、詰ってくれてもいい。詰り返すと思うけど。ただ、私の言葉をあなたの中耳に入れてほしい。
そうやって彼女を詩の一部にしながら、私は改札を出て左に曲がった。少し歩いてから振り向けば、彼女が私に背を向けひょっこ、ひょっこと家路を辿っている姿が見えた。全くと言っていいほど変わっていない後ろ姿を見つめながら、私は彼女との三年間を思い出していた。随分都合のいい走馬灯だ。
私と彼女は図書室で出会った。高校に入学して間もない頃で、中学の友達とはクラスが離れてしまい、友達作りに必死だった。一人で居る子を見つけ、片っ端から声を掛けようと考えていた。その記念すべき一人目だったのがヤネだった。ヤネが文芸部の部誌を読んでいたから「私もそういうの好きなんだけど」と声を掛けた。図書室全体がぎこちない雰囲気のなか、私たちはそれがいっそう際立っていた。ぎくしゃくとした会話を続けたのち、私たちはどういうわけか友達になっていた。
詳しいことは覚えていないけれど、メアドを交換してからというもの、ヤネと私は殆ど親友のように毎日を過ごした。帰り道に駅前のセブンティーンアイスを買ってみたり、面白い先生のあだ名を考えてみたり。一緒にテスト勉強をしたり、暇なときに電話をしてみたりもした。ヤネと私は部活も同じだったから、放課後も一緒に過ごした。馬鹿みたいなことをして、馬鹿みたいに笑う。ヤネと私はありふれた高校生だったと思う。好きな人がいて、嫌いな科目があって、平均点がとれなかったりクラス最高点だったりして。
高校二年生の夏までは、それが順調だった。互いに気になるところはあっても、それを口にするまではいかず、ありふれた欠落に目を瞑り合って過ごしていた。
夏休み、私とヤネは部活の全国大会のため東京へ向かった。顧問と私とヤネの三人旅は、正直、最悪だった。全国大会での成績が芳しくなかったからではない。県大会でどれだけ良い成績を残せたとしても、全国レベルの実力ではないことは私自身がよく分かっていた。顧問もそれを分かっていてくれただろうし、ヤネも「おつかれ!」と言ってくれた。けれど、私はそのヤネが許せなかった。
大会前夜、私とヤネは一つ下の後輩であるモトと三人で電話を繋げていた。モトに電話をしよう、と言い出したのはヤネだ。ヤネがモトを気になっていることはヤネから聞いた。その態度はものすごく分かりやすかったから、きっと本人から聞かされていなくとも気づいていただろう。しばらく三人で当り障りのない電話を続けたのち、ヤネはモトと二人で話したいと言い出した。
告白、するんだろうな、と悟ったとき、そしてそれが現実になってしまったとき、私はヤネに大きく失望していた。奇跡が起こらない限り勝てないような大会の前夜に、想いが通じてはしゃいでいるヤネが許せなかったのだと思う。イヤホンをつけている私には聞かれたくなさそうに、ヤネは「聞こえてないと思う」と言った。それもまた、私を少しばかり追い詰めた。聞かれたくないなら場所を変えればいいのに、と思いながら、私はまたその欠落に目を瞑った。力強く目を閉じていた。次のきっかけは、夏休み明けの昼休みだった。
本当に些細なことだったと思う。けれど、目を瞑り続けていたそれは、いよいよ限界というところまできていた。あのとき、いくらかでも言えていたなら少しは違った未来になっていたかもしれない。そういう「たられば妄想」が不毛なことだと分かっていても、私は未だに夢を見る。ヤネと私が、仲良く話している夢を。カラオケに行っている夢を。仲直りする夢を。
ヤネのSNSを覗いてみると、向こうも時折私の夢を見ているらしい。ヤネのブログでは私との三年間がヤネ視点で描かれているし、それによると私はヤネの「親友だった」らしい。最初にそれを知ったときは、少しばかり動揺した。「ふーん、そうなんだ」と平静を装いながら、そうだったんだ、へえ、と繰り返した。それをヤネは知らないし、知る由もない。
ヤネは私とのことをけして詩的に語ることはしない。いつも現実的に、時には思い出したくないような書き方で振り返っている。私の黒歴史を全世界に公開しないでもらいたいし、私の黒歴史はあなたの黒歴史でもあるんだよ、と言いたい。
私はといえば、ヤネとのことを詩的に語ることをやめない。ヤネ視点での私は、それはもう最悪のドクズで、カスで、人でなしだ。きっと逆もそう。私視点でのヤネを事細かにリアリティをもって語ると、ヤネがなかなかにずれていて、気弱で、変なところ常識人で面白くて憎めないやつ、ということが露呈してしまう。それは避けなければならない、と思い、私はヤネとのことを詩的に語り続けている。
先日、私はヤネの後ろ姿を見た。高い位置でくくられたポニーテール、バナナ色の取っ手がついた桃色の鞄、少し高めの身長。見間違えることなんてない、あれは絶対にヤネだった。
声を掛ける勇気は無かった。その代わりに、私はヤネを追い抜かし、ヤネの視界に入ってやった! という気持ちで、足早に階段を上った。
改札を出て左に曲がって、ヤネの帰路を確認する。好きだった人みたいだな、と思った。ばくばくする心臓を抑え、小刻みに震えている両手を宙にぶらぶらさせながら、私は私の家路を辿る。もう同じx線上にはいないけれど、どこかのy線上にはいるんだな、と思うと、途端にヤネを詩にしたくなってしまった。
いつかまた、どこかで遭遇してしまわないかな、神さまはそういういたずらが好きなはずなのにな。蜘蛛の糸を垂らすように、私の言葉をヤネに垂らしてください。神さま!
なんて書き連ねたところでどうしようもない。私は今日も眠る前に麦茶を二口飲み、枕に話しかけてから目を瞑る。何の根拠もないけれど、そうすれば少しだけ良い夢が見られるような気がするからだ。