瞬きの呼吸 #2

 窓を見遣る。空はレトロなフィルターをかけたように色が薄く、燈子の写真を彷彿とさせる。三階の部室から見下ろす桜のつむじの白さは、花というよりも雪のようだ。それらが散るとき、終わるのは本当に春なのだろうか。
 卒業式は昨日終わった。感染拡大防止のため、在校生は構内に立ち入れないことになっていた。一日中眠り続け、夜になってから朝食を摂った。燈子に連絡をとることはしなかった。燈子は、きっと、梓からのLINEの通知をオフにしていないだろうから。
 サークルとしての卒業式は春休み前に終わっていた。色紙の代わりに写真集を、花束の代わりにフィルムを渡した。その日は燈子の目にも光が溢れ、今思えばそれはただ照明が瞳に映っていただけだったのだろうが、梓は夢を見ているようだった。
 昨年部長が替えたばかりだという蛍光灯、燈子の光だったものに手を伸ばす。届かないと分かっていて、そうする。ふと辺りを見回すと、四回生が置いていた私物の殆どが無くなっていた。がらんどうという言葉は、がらんどうを経験した人が考えたのだろう。現像を忘れたまま失くしてしまったフィルムカメラのように、部室はがらんどうだった。

 燈子は、梓の写真が好きだと言った。リビングでYouTubeを眺めながらくつろいでいるとき、台所で皿洗いをしている親に呼ばれて一時停止を押す。そういう日常的な息吹が、梓の写真から伝わってくるのだ、と説明した。
「文章にしたらなんでもないことに聞こえるかもしれんけど、できる人はそうそうおらんよ。飾り気のないありのままの日常を素直に切り取れるんは、梓ちゃんの個性で、才能やと思う」
 燈子から受け取った言葉を、梓はそのまま飲み込んだ。
「なんていうか、そんなん自分では分からんけど、先輩がそう思うんならそうなんやと思います。ありがとうございます。これからも頑張ります」
 嬉しさは本当の感情だった。まじりけのない純粋な。しかし、燈子は諭すように口を開く。「梓ちゃんな」同じ階のどこかの部屋から、空気を刻むドラムの音が聴こえてくる。軽音サークルだ。梓は燈子以外の音に耳を傾けようとしていた。太陽を直視してはいけないように、身をひねり、中耳におうとつをつけた。けれど、梓を劈くのは燈子の言葉だ。
「私がどう言うたとしても、梓ちゃんがそう思えんかったらそう思わんでいいんよ。梓ちゃんには梓ちゃんの軸がある。私も親も関係ない、梓ちゃんだけの軸」
 そのとき、梓はようやく燈子の目の灯りに気がついた。蛍光灯によるものではなく、燈子のなかから生まれた光だ。火先はゆらめき煌めいているが、芯はずっしりと強く、一本の軸が燈子の目の中にあった。梓は燈子のそれを見つめる。
「……先輩。もう一年おってほしいです」
「うん。私もそうしたいけど、でも、できひんから」
「私と一緒に卒業してほしいです」
「うん。先におらんくなってごめん」
「もっと先輩の写真見たいし、私の写真も見てほしい」
 燈子の光がぼやけていく。息を吸うときの鈍い音で、梓は自分が泣いていることに気付いた。燈子は梓の肩を、骨ごと抱きしめる。燈子のからだから滲むやさしい匂いを、梓は肺いっぱいに吸い込んだ。

(続く)

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