なにをしても僕は君になれなかったし、君は僕になろうとはしなかった
夢を見た。大学の同級生たちとの飲み会の夢。実際、来週の土曜にそういう会がある。そこで私は、およそ1年ぶりにAと会う。
夢で私とAは肩を組みスキップの足取りで歩いた。すぐに忘れるような、どうでもいい話をしながら。ふたりの影はひとつの塊になっていて、境界線がなかった。私たちはひとりだった。同じように笑い、同じように頷き合っていた。
元彼に振られて、2ヶ月が経った。そのあいだに、さまざまな人間関係が生まれた。大学院で同じ授業をとっている他学科の後輩だったり、バイト先の人だったり。本当にさまざま。みんな穏やかでおもしろくて優しい。ありがとうございます。
別れてから、大学構内で一度だけ元彼を見た。向こうは認識していなかったかもしれないが、目が合ったと思った。どちらにとっても生活圏内の場所だから、そういうこともある。仕方ない。だけどそれ以降は「大学へ行く」ということが少し気力を使うことになってしまった。6年も通っている大学がそういう場所になるとは考えたこともなかった。
その代わり、バイト先(塾)で話す人が増えた。バイトを紹介してくれたもともとの友達の他に、3人も遊びに行く関係になった。すごすぎる! 学部のときのバイト先(塾)の人間関係はほとんどなかったから、とてもすごい。成長?(進化?)
修了試験も無事に終わり、大学へ行く用事ももうない。図書館も毎回受付の人に声をかけないと出入りできないようになってしまった。今度、大学図書館についてのエッセイも書こうと思う。最後まで好きな場所だったから。
悲しかったあれこれも今はすっかり大丈夫になったけど、元彼と別れて1ヶ月ほどは、いろんな記憶が痛かった。別れ話のあとのツイートが「くぅ〜疲れましたwこれにて帰宅ですw」だったことも、私の「今までありがとう。楽しかった」に対しての返信が「じゃばいばいーい」だったことも、別れ話のとき元彼が「別れられるようになんとかしてほしい」と友達に電話をかけたことも、ぜんぶしょうもないのに、ぜんぶ悲しくてどうしようもなかった。今思うと、あほらしすぎますね。ばいばいーいって何語ですか?
一方的に終わらせられたのが嫌だったから、共通の知り合いに協力してもらって、もう一度話す機会を設けてもらう予定だった。知り合いは了承してくれていて、私の修了試験が終わったら実行に移すつもりだった。
だけど、何度考えても、話したいことが思い浮かばなかった。もうなにを言っても届かないだろうし、届いてほしい言葉もない。私の投げたものはすべて透明で、するりと彼を通り抜けるだろう。
周りの人たちに言うと、全員が口を揃えて私を止めた。話し合えば分かり合える人は存在するけど、ばいばいーいさんとは分かり合えないよ、とか(元彼はばいばいーいさんと呼ばれています)、また嫌な思いするよ、とか、会うメリットある? とか。
私は私なりのピリオドのつけ方がそれなのだと思っていたけれど、途中から、周りの人がこんなに止めてくれているのに会うのって、周りの人たちを大切にできてないんじゃないかな、と思うようになって、会うのをやめた。その代わりに、いろんな人と会うようにした。そしたら悲しい気持ちが本当に消えた。人間ってすごい。
みたいなことをやっていたら、Aのこと、Aに関するさまざまな言葉や感情も、だんだん記憶になってきた。タイトルはAのことです。ばいばいーいにばいばいーい、っていうタイトルと迷った。あまりにも詩性がなさすぎるのでやめました。
それはそれとして、人間関係難しすぎませんか!?
最近の人間関係、良い夢を見させてくれてありがとう すぎる。ずっと冬眠していたいよ。