沼袋-実相院、百観音明治寺、沼袋氷川神社
■真言宗豊山派如意山 実相院
灯は、小さくとも、いつもあったかい。
―脚本家・演出家 倉本聰
この掲示板には月二回、色々な方々が、さまざまな『想い』を込めて発する言葉の中から、簡潔で興味深い言葉を選んで掲示しています。
心の荒廃が叫ばれながらも、解決の糸口を見出すことができない現状を苦々しく思っている方々の一服の清涼剤になれば幸いです。
実相院
(2021年10月17日掲示より)
実相院のウェブページを見ると、『古今東西名言迷語』として、今まで掲示されてきたと思しき言葉が紹介されています。
(http://jissouin.jp/)
この中で、自分が好きな言葉を並べてみました。
並べてみると、昔も、今も、誰も、考えていることや言われていることの基本は何も変わらないように思いました。
小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道。
―プロ野球選手 イチロー
いやなことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ。
―内閣総理大臣 田中角栄
あきらめない奴には、勝てないよ。
―メジャーリーガー ベーブ・ルース
夢見ることができれば、それは実現できる。
―ウォルト・ディズニー
もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
―中国小説家 魯迅
ところで、この掲示板に紹介されていませんが、最近聞いた言葉で僕が好きな発言は、白鵬の引退会見の時のものです。
大相撲を目指す子どもたち、そして若手力士がまず基本を大事にし、型をつくること。型ができたときに型を破ること。まさに“型をもって型にはこだわらない”。そうすれば必ず強くなっていくんじゃないかと思います。
■百観音明治寺
百観音明治寺は、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十三観音の写し霊場です。
(石仏の寺 百観音明治寺ウェブサイトより/http://www.meijidera.com/index.html)
僕が訪れたのは、夕方5時近く、ゆっくり拝観できませんでしたが、百八十体ほどあるという観音石仏は圧巻です。
置かれていたお寺を紹介する冊子『石仏の寺 百観音明治寺』に書かれている次の言葉を読むと、人の人生の有様を優しく描いているように思え、ただ先に進むしかないのだと、今自分がここにいることへの納得感に緩やかに包まれました。
次回、昼間に来て、観音様巡りができればと思いました。
『・・・この中には必ずや「このお顔に出合えてよかった」と思いになる石仏が見つかるでしょう。そうしたら、どうかそのお顔をじっと見つめて合掌し、「南無観世音(なむかんぜおん)」と唱えてみてください。その時、初めてその石仏は「あなたの観音さま」になってくださるのです。』
今、目の前にある世界を作るのは自分なのでしょうが、その世界は誰かと共に作られているはずであり、それを信じて手を取り合いつつ先に進んでいくしかない、ということかと思いました。
■幸せを呼ぶ三本願い松 中野沼袋氷川神社
古来より
「悪しきことはスギ去れ、願い叶うをマツ」と杉の木に願いを掛けて、不運・災難から逃れ松の木に幸福を願うと、必ず叶うと信じられて来ました。
(沼袋氷川神社ウェブサイト『幸せを呼ぶ 三本願い松』より/https://hikawa-n.or.jp/gosaijin)
いつもおみくじは人生の投影だと思い、微笑ましい存在に思っていますが、この神社ではおみくじ売り場のところに、丁寧に「おみくじ手引き」が掲示されていました。
内容は何か新たな気づきがあるものではありませんが、個人的には人と宗教の神髄-自分の存在を認識しながら、納得いかないこともあるが、ともかく悩みながら進むーが表現されているように感じました。
おみくじの手引き
おみくじとは、物事を決める際、神仏の意思を問うために古来より用いられる『くじ』のことです。
おみくじを引くときには心を鎮め、特に伺いたいことがある場合は、そのことを念じながら引きます。
単に吉兆の順番を気にするのではなく、書かれている内容をよく読み、日々の生活の指針になさってください。
引いたあとは・・・
所定の場所に結んでいくか、持ち帰って身近に置き、ご自身を振り返るために時々読み返すと良いでしょう。
吉凶の味方
大吉 最も良い運勢です。
吉 縁起良く好ましい運勢です。
中吉 上向きの運勢です。
小吉 普通より少し良い運勢です。
末吉 後々良くなります。
凶 良くはありませんが今だけです。
大凶 今が一番良くないときです。これから上向いてゆきます。
人は、昔から博打をしながら生きていて、その決断にはやっぱり不安を伴うので、何かに縋りたい。
Wikipediaのくじ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%98)に書かれている内容も流用しながら考えると、人生=くじというのは『あらかじめ公にされている単純な確率計算以上の予測を行えないことが必要』であり、このため祈願したいわけですが、AIが流通し将来の姿が確立計算により予測を行えるようになる道筋において、その世界に宗教的な概念がコンピュータ処理の中に持ち込まれるように思いました。
常々、AIの世界で宗教性が問われる時代になると思っていますが、その思いを改めて強く感じました。