田無-遍立寺、田無神社、総持寺
地名の由来
田無の語源については様々な説がありますが、定説は得られていません。文字どおりこの地域一帯が「田のない」ところであり、その核心地域として「田無」の名称が残ったと考えるのが、もっとも一般 的な解釈です。
(西東京市Web 市のおいたち・地名の由来(田無版)より/https://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/ayumi/oitati_tanasi.html)
Wikipediaの説明を引用すると、
青梅街道と所沢街道が交差する交通の要所であり、青梅街道の宿場町として江戸時代より栄えたそうですが、
宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失うが、西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となったということです。
遍立寺の掲示板『NO先祖 NO LIFE』
商売文句なのか、それとも事実を述べる標語か。
この世の中、商売という言葉を持ち出すと、厭らしい印象を与えてしまう気もしますが、
価値があるからお金が絡むことが一般的であり、逆に金が絡まない場合は価値がなく、
それは意味のない行為であり事実であると言えるのかもしれないと思いました。
つまり、商売毛があるということは、人に必要なことを行おうという気持ちであり、
一方、それがないということは、人に価値を提供する気持ちがないともとれるように思いました。
田無神社『開かれた神社』
人が集まるこの神社は、綺麗に整備され、人を呼び込むための展示物、授与品が揃い、祭事が催されている。
(田無神社 境内のご案内より/http://www.tanashijinja.or.jp/guide.html)
田無神社のウェブページの説明によると、
開かれた神社として、地域社会との絆を深めるべく新たな試みを行っているとのことであり、
また、神社の由緒だけでなく、田無の紹介を行うなど、地域社会の発展に貢献しようという心意気を感じます。
世の中では、開かれ、そして人の拠り所となる空間でありつつも、論理を超えた次元にある力を頼るための場所が求められており、
それが時に神社であり、時にお寺であるのかと思いました。
総持寺
明治8年、3寺が合併して創建されたお寺で、関東三十六不動霊場の第十番札所に数えられ、新東京百景にも選ばれています。立派な山門と大きなケヤキのある境内では、だるま市、梅の市などが行われます。
(西東京市Web 大好き西東京>市内おすすめスポット>田無山総持寺より/http://www.city.nishitokyo.lg.jp/daisuki/spot/tanasisansozizi.html)
お寺や神社にあるおみくじというのも商売柄を感じるものですが、
総持寺に置かれたおみくじを前に、それを買う意味を少し考えてみると、大吉であろうが吉であろうが、凶であろうが大凶であろうがその結果に大きな違いはなく、大切なことは、人にしてみるとどんな結果であろうと、何か清められた空間で何か決められたことを伝えられることであり、そのことに価値があると気が付きました。
無作為に引き抜いた棒から示された宣下に接し、自分の中にある事実とその言葉を重ね合わせることで、具体的な目標や仮説を設定することが容易になり、
先へと進むアクションを起こせるようになる。
人は暗闇に一人で立ち、そこで先に進むべき方向を定めるのは不安もあるでしょう。
駅に向かう途中の古道具屋
売られるからには不要と判断され、その物は、今、そこにあるのでしょうか。
ただ、いつも、古道具屋に売られているものを見ると、
そこには以前それを持った人の思いがあり、笑顔があり、そして、別れるという決断があったのかと想像します。
多くの人が古道具に惹かれる思いは私は知りませんが、
そのようなある人が持った思いに引き寄せられる形で、その店に入り、品々を眺める人もいるように思いました。
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