館林-曹洞宗 青龍山茂林寺
茂林寺は、分福茶釜の寺として知られているそうです。
その謂われは、茂林寺で千人法会(千人の僧を招いて読経させる法会と思われる/参考:千僧御読経)のため来客を賄う湯釜が必要となり、住職守鶴は一夜のうちに、どこからかいくら湯を汲んでも尽きることが茶釜を持ってきて、その釜を福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言った、ということであるそうです。
(茂林寺ウェブサイトを参考に作成/http://www7.plala.or.jp/morin/chagama.html)
ただ、分福茶釜は、日本中で語り継がれている昔話でもあり、茂林寺にまつわるお伽話では、『和尚が手放した茶釜(狸の化身で、頭・足・尻尾が生える)が、綱渡りなどの芸をし、これを見世物商売に屑屋が財を築き、茶釜を元の寺(茂林寺)に返還する。』と言われているそうです。
(『』内は、ウェキペディア 分福茶釜より抜粋/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E7%A6%8F%E8%8C%B6%E9%87%9C)
また、茂林寺以外の一般の事例を見ようと、百科事典の分福茶釜の説明を見ると
動物の恩返しをテーマにした昔話である。各地の伝承を要約してみると、貧しい爺(じい)がいじめられていた狐(きつね)を助ける。翌日この狐が爺のもとにきて、茶釜に化けるから寺に売って金儲(もう)けをしろともちかける。いわれたとおりに寺に売る。前述のようにして寺から逃げてきた狐は、次に遊女に(さらには馬に)化けて売らせ、爺に恩返しをするという内容の昔話である。
(コトバンク 分福茶釜より抜粋/https://kotobank.jp/word/%E5%88%86%E7%A6%8F%E8%8C%B6%E9%87%9C-128651)
と説明があります。
昔話であるので、社会とは何か、そしてそこで生きるための在り方や知恵を伝えていくためのお話、ということであった、ということでしょうか。
現代の教育であれば、タヌキやキツネが化ける話はあまり現実の話として利用価値が少ないのかもしれません。
ただ、市場において、あるモノや話や事柄は、このように物や人を変え伝承され他のところで何かの価値を生む、つまり人は離れていても相互関係を持ち生きている、そして、その成果をいつ享受できるかは定かではありませんが、信じて続ければ、いつか、その恩恵を受ける事ができるということはよく言われる話であると思います。
つまり今も昔も、語られている本質は変わらないのかな、と思いました。
このような土地の広がりという横軸だけではなく、時という他の軸を利用して考え見ると、そのような昔の人の知恵が、意図した形とは異なると思いますが、今も不思議な力を持つ化け物として狸が我々の前に現れ、茂林寺にある釜より、僕らから忘れられた知らない誰かの力も使いながら、人々に福を分け与えてくれているように見えました。