私の嫌いな私の手は私の愛する人たちを抱きしめてきたことについて
傷つきやすい自分を変えたいと、傷つきやすいと気がついてから、ずっと考えてきました。
私の嫌いな私を変えたい、と。
それは、傷つきやすい私や、私の嫌いな私の部分について、良い面を発見することができていなかったからです。
でも、私の大好きな雨が、激しく激しく降っていたある日、気がついたことがあります。
誰かが嫌いな雨は私にとって恵みそのもの。
ああ、人も同じか、と。
私は自分の口の形が嫌いですが、そんな私の口は、大切な人に想いを伝えるための言葉を発してくれます。私の口は、目の前の人を褒めたり、大切な人と対話するために、何度も何度も使われてきました。私の口は、私の笑顔を表現してくれます。
自分の鼻の形が嫌いですが、そんな私の鼻は、私の大好きな、わくわくする食べ物や自然の匂いを嗅いでくれます。
私の嫌いな私の瞳は、私が好きだと感じるものごとを捉えてくれます。私の愛する人たちの、大好きな笑顔を見つめてくれます。
「傷つきやすいから私が嫌い」。でも、そんな私が誰かを救っていると考えてみたら・・・。
あなたが傷つきやすいおかげで、あなたは他人を傷つけない。
あなたは人が些細なことで傷ついてしまうことを知っているからこそ、誰かを傷つけるような言葉を軽々しく話さないように気をつける。
人の脆い心を大切にしようと、慎重に他者と関わっている。
つまり、あなたが嫌いなあなたの傷つきやすさのおかげで、あなたに大切にされたり、救われたりしている存在が・・・あるとしら。
「あなたが嫌いなあなたの部分」が、誰かを救っているとしたら。
「あなたが嫌いなあなたの部分」に愛されている存在が、あなたのそばにあるとしたら。
友人の手の指は長くて細くて綺麗なのに、自分のものはそうではないから、あなたは自分の手が嫌いなのかもしれない。
でも「あなたの嫌いなあなたの手」は、あなたの人生において、あなたの愛する人たちを抱きしめたり、大切なものを握ったりしてきたはず。
友人の脚が長くて細くて綺麗なのに、自分のものはそうではないから、あなたは自分の脚が嫌いなのかもしれない。
でも「あなたの嫌いなあなたの脚」は、あなたの居場所へあなたを運んだり、あなたの好きな場所へあなたを向かわせたり、この壮大な大地の上にあなたを立たせてきたりしたはず。
あなたの理想の形ではない鼻は、あなたの大好きなお花や、おいしい食べ物の匂いをちゃんと嗅いで、あなたの心へ、豊かさを運んでくれているはず。
他者と自分を容易に比較して、容易に自分を責めてしまえる現代社会で、自分の好きなところを持っておくことは難しいです。
私も、ずっと、普通に見える周りの人たちと自分を比較して、できない自分、欠けている自分、嫌いな自分を持ち続けてきました。
でも・・・。
誰かにとっては憂鬱な雨が、私にとっては恵みなように。
洗濯物が乾かないからと、ある場所で疎まれている日陰は、ある場所では、暑がる人々の心身が休まる優しい居場所になっているように。
あなたの嫌いな〇〇が、あなた自身、あなたの大切な人たち、たまたますれ違った人たちを、愛したり救ったりしてきたと考えたなら。
少しだけ、他者と比較して自分を蔑む回数を、減らせるかなと思いました。
私は、日陰に、自分を責めてほしくないんです。あなたは夏を救っているんだよと思うから。同時に、鋭い日差しにも、自分を嫌ってほしくないんです。あなたのおかげで育っていく生き物がいると思うから。
傷つきやすいあなただからこそ、他人を傷つけずに、大切にしている。
これほど美しいことがありますか。