人の心
テレビを見ていて、どうしても許せない出来事があった。
とあるお笑い芸人の男性が亡くなった。僕はその事について詮索をしようとは思わないし、残されたご家族への配慮として赤の他人である第三者に出来る気遣いは「無関心」以外に存在しないと思うので、これ以上は何も書かない。
僕が憤りを感じたのは、その出来事をまるでホットなニュースが飛び込んできたかの様に嬉々として飛び付き、道徳心の欠片もない蛮行と呼ぶに相応しい不適切な報道に及んだ、あの社屋が球体のテレビ局に対してである。
今回の出来事が起こる以前からあそこのテレビ局が苦手だった。アナウンサーがなぜかタレントのように振る舞っているのも気に入らない。かつては民放各局の中で一番の人気を誇っていたようだが、それも遠い昔の話である。
少し本題から逸れたので話を元に戻す。前述のテレビ局が制作した情報番組の中で、亡くなった人物に対して、不必要な過剰報道を繰り広げた挙句、自宅前に取材クルーを送り込み、あろう事か中継映像を生放送の番組で流してしまう信じられない愚行に及ぶ場面が見られた。
狂っている。完全に狂っている。あれで他局を出し抜いたつもりにでもなったのだろうか。少しでも彼らに社会的な常識と、人間としての道徳心と、マスメディアとしての責任と矜持があれば、あんな事をするには至らなかっただろうし、どこかで踏み止まる事ができたと思う。
そもそも業務で知り得たであろう、出演タレントの住所という超ド級の個人情報を無断に私的利用する形で全国のお茶の間に垂れ流している事自体、企業として社会的に守らなければならないコンプライアンスに抵触しているのではなかろうか。何もかもが間違っているのだ。
あの中継映像を思い返すだけで嫌な気持ちになるので、その番組がどんな内容だったかについては省略する。まだ知らなくて気になる人が居たとしても、知らないままで居る事を強く推奨する。あんな物には一見の価値すらない。
加えてここで僕が提示したいのは、在京キー局と呼ばれる日本社会に多大な影響を与えるテレビ局が、多岐に渡る様々な種類のコンプライアンスが混在する今日において、亡くなった人間に対して僅かな配慮すら持つ事なく、自宅前に押し掛けて中継映像を全国に放送をしたという信じられない事実についてだ。
更に死因を「自殺と見られる」と断定する形で報道をした。医師やご家族でもない限り、人間が亡くなった理由など分かるはずがない。もっと言えば、今回の件に関して、所属事務所は死因については何も言及していない。つまるところ、第三者に真相を知る人間など一人も存在しないのだ。
同じテレビ局ではNHKも報じていたが、流石にNHKは亡くなった事実を報じる事に留め、それ以上の事は何も言わなかった。至極当然ではあるが、不確定要素を憶測で断定するなど、マスメディアとして言語道断に他ならない。
厚生労働省から「自殺に関する報道にあたってのお願い」といった名目で、国民への影響を考慮するために、メディアに対して報道マニュアルが作成されている。
その中で2つ目の項目にある「著名人の自殺に関する報道にあたってのお願い」において、次のような記述がある。
まさに今回の一部メディアの過剰報道に対応する形で、国が直々にマスコミに対して注意と警告を発したものだ。実際には〇〇には実名が記載されている。
日本は先進国の中でも非常に自殺が多い国として広く認知されている。日常的に利用している電車が止まった時に「人身事故」という四字熟語を目にした時、我々は何が起きたのかおおよその事を理解する。無論必ずしもそうとは限らないが、残念ながらそうである可能性が少なからず存在しているのもまた事実だ。
だからこそ、それ程までに自ら命を絶つ行為が身近な存在であるからこそ、命に関わる情報には十分な配慮がなされるべきで、人の不安を煽り、駆り立てる事がないよう、必要な人に必要な援助が施されるよう、社会全体が意識しなければならない。
それを推進していく役割を担うのがマスメディアである。いつの時代も視聴者に対して物理的に、経済的に、そして精神的に多大な影響を与えてきたテレビ局は、役割の中でもより多くの割合を占めていると僕は思う。
その役割の一切を放棄し、一人の人間の死をセンセーショナルな話題としてだけ捉え、厚労省のマニュアルをほぼ全て蔑ろにする形で、多くの視聴者に不安と不快感を与えた。あんな非人道的行為が許されるはずがない。
僕は矛盾と欠陥だらけの未熟者だが、人間の命を踏み躙る行為に怒りを感じられるだけの、最低限の良心は兼ね備えているつもりだ。僕が怒ったくらいだから、世の中に数多くいる僕より立派な人達は、きっと僕より強い憤りを感じたのではないだろうか。そうである事を強く願う。
あのテレビ局がやった行為をおそらく僕は生涯忘れる事はないし、ずっと覚えていようと思う。
亡くなられた方のご冥福を祈る。