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スペック至上主義から脱却した話


はじめは機材厨だった


前回、知り合いから貸してもらったPENTAX *istDSが写真趣味の始まりだったと書きましたが、この出来事があったのが2010年より少し前です。これを貸してもらった時、自分はコンピュータープログラマの仕事していたころでした。

当初、写真の面白さがわからず、ほったらかしになっていたのですが、これとは別にコンデジを手に入れて適当にパシャパシャ撮り始めていたころ、何かの拍子に*istDSの事を思い出し、試しで撮ってみたところ、コンデジとは比べ物にならない凄い画像が撮れるではありませんか。


「こりゃ凄いコンデジなんか所詮オモチャだった。写真撮るんならやっぱりちゃんとした一眼レフじゃないと」とすっかりハマってしまったのです。
聞くところによると*istDSはすでに旧式機で(当時の)最新鋭機では1200~1800万画素。フラッグシップ機では2400万画素の画像を生成するらしい。それが手に入った暁にはデジタル空間で写真を自在に操る巨匠と呼ばれること間違いなしよ。とフラッグシップ機のカメラについて、すべての戦局を覆す最終兵器みたいな妄想取りつかれていた私は無事機材厨への道を進み始めたわけです。

PENTAX *istD

電子技術は日進月歩

こんな考え方をしてしまったのは、自分がコンピューター業界にいたことが少なからず影響していると思います。何しろ自分が駆け出しのプログラマとして仕事に就き始めた1990年ごろ、パソコンは16bitCPUが10Mhzで動いていた時代。メモリ容量も640KB(640「メガ」じゃないよ。「キロ」だよ)程度でHDDも装備されておらず、PC単独で動くプログラムは仕事用には使えず、業務用のメインフレームやオフコンの端末として使用されるのが一般的だったのです。それが数年たつうちに32bitCPUが登場してWindowsが稼働し始め、最初は微妙な出来だったものの、Windows95やNTの登場で業務システムの構築にも十分使えるプラットフォームになっていきました。
(PCのもう一つの流れとしてAplleのMacintoshもあるのですが、残念ながら自分には縁がなかっのでどんな様子だったのかほとんど知りません。申し訳ない。)

こうして16bitの文字表示しかできなかったPCが32bit,64bitCPUを搭載してWindwosが動き、HDDのような大容量ストレージ装備やネットワークへの接続が当たり前になっていくまで20年足らずです。この頃のPCの進歩は本当に日進月歩というにふさわしく、今年登場するPCは間違いなく去年のものより優れているし、去年のマシンでは不可能だったことが今年のマシンでは可能になっているという事が大げさな表現ではなかった時代でした。

Canon EOS D60

デジカメも日進月歩なのに

翻って自分がデジタル一眼にはまりだしたのが2010年くらい。毎年のように発表される新型機はCPUやメモリが増加したPCのごとく画素数を増やしていきます。この毎年のように上がっていく画素数を見て、自分も今年の新型機は去年のマシンでは不可能だったことが出来るに違いないと最新鋭機に次から次へと乗り換えていきました。

実際2010~2020年までのデジカメの発達もまた日進月歩といってよいと思います。この期間デジカメは単純に画素数が増えるだけでなく、ライブビューを装備し、動画が撮れるようになり、ミラーレスカメラが登場し、また、スマホのカメラも画質面で一般的なシチュエーションでは一眼やミラーレスを不要にしてしまうまでに発達しました。

しかし、新型機を手に入れた後でも借り物であったがゆえにずっと手元に保管し続けていたPENTAX *istDSでたびたび写真を撮ってみて、画素数からくる解像感の粗さ以外、取り立てて古さを感じず、電源のon/offや撮影後のデータの書き込みやオートフォーカスにちょっと時間がかかる点にあまり不都合を感じなかったとき、カメラのスペックは劇的に向上しても写真の質は劇的に向上しないと気づいてカメラをPCと同じように見なすの間違いだと思うようになりました。

Nikon D100

デジタル一眼レフのメカニズムはフィルム時代に完成されている

今回掲載している写真のカメラは各メーカーが初めて世に送り出した600万画素機ですが、これらはいずれもフィルムの一眼がベース機となっていたり、フィルム一眼の部品が多く流用されていました。

それで大きな問題もなく使えていたのですからカメラとしての機能はすでにフィルムの一眼レフ機で完成していて、発達したのはデジタルの部分だけというのがデジタル一眼レフの実態だったのではないでしょうか。

ライブビューや動画撮影はデジタル一眼で初めて出てきたじゃないかという声もあるでしようが、この新機能で今まで撮れなかった「写真」が撮れるようになったかというとちょっと違うかなあと思うのです。
(ライブビューについては意見が分かれるかも知れませんが)

極論を言えば、istDSもデジタル部分だけ最新の光学センサや画像エンジンに入れ替えれば不都合なく動くはず。かえってマシンスペックに頼らない撮り方が出来てよいのではないか?そう思って主力稼働機をistDSをはじめとする
600万画素機に戻すことにしました。今回のここに貼り付けている写真はすべて600万画素機で撮影しましたが、少なくともここで見る限り最新機種の写真と比べても見劣りすることはないと思うのですがどうでしょうか?

デジタル部分を最新のものに差し替えるのはさすがに無理ですが、RAWデータで記録して後処理でJPEGを生成すれば間接的にではあるものの、画像処理機能を現行の画像処理エンジンに近い水準に引き上げることは可能です。

KonikaMinolta α-7 digital

いつまで使い続けられるかはわからないものの

機能的には十分だと思える600万画素機も、実際は20年前の機種なので手に入れるにはもっぱら中古品を探すしかないのですが、あまりに古すぎて正常に機能する個体が減ってきているという問題があります。また故障したとしても修理できる望みはほぼありません。壊れたらそれまでなのですが、とりあえず手元に600万画素機がある限りは行けるところまでこれで進んでみようと思っています。

何しろフィルムカメラ時代の偉大な大先輩たちはフィルム一眼レフで素晴らしい作品を作り上げているのです。光学機能上フィルム一眼レフと何ら変わることのない600万画素機は少なくとも理屈の上ではそんな偉大な大先輩方の作品と同じものが撮れるはずです。

そうした大先輩方の撮り方をマネできるウデが身につけば、たとえすべての600万画素機を失って別の機体に乗り換えたとしてもウデを生かすことが出来るでしょう。

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