JPEG以前。コンピューターグラフィックの歩み
写真はデジタル化する以前に長らくフィルムで撮られてきた歴史がありました。
デジタル写真が広まる以前、ディスプレイ上に描画するグラフィック - コンピューターグラフィックが存在していました。そう、写真が現れる以前に絵が存在していたようにです。
今回はそんなコンピューターが描く。コンピューターで描く絵のお話です。
文字だけで絵を描く!
初期のコンピュータ - まだキーボードもディスプレイもついていなかった時代。入力装置はテープリーダーとか、カードリーダーとか、キーボードがついている。と言っても今のようなフルキーボードではなく、16進数を入力するテンキーボード(いや16キーボードか?)で、出力装置もプリンターのみ。コンピューターの役割は「電子計算機」という名前そのままに複雑な計算式を大量に、瞬時に計算すること。
そんな時代にも「コンピューターで絵を書いてみたい」という人は居たわけで、様々な創意工夫でプリンタ用紙の上に文字だけで絵を描くという試みから最初のコンピューターグラフィックが描かれるようになりました。
文字で絵を描くという意味では今日ディスプレイ上で表示するアスキーアートのような描写になるのですが、プリンタを使って紙の上に印刷するという点を利用した、独自の技術を持った「絵師」がいたりしました。プリンタの制御コマンドを利用して同じ場所に何度も文字を印刷することで単純な一文字を印刷しただけでは不可能な表示を可能にしたりしたのです。
印刷される紙もA4定型用紙ではなく、ほとんどの場合はミシン目のついた連続用紙でそのまま連続印刷して縦長の複数枚にわたる大作を印刷したり、ミシン目で切り離して縦横に並べることで超巨大な一枚の絵になる「作品」を作り上げる人もいました。自分も高校の電算部(コンピュータを使う部活はこんな名前だったのです)でモナリザの絵を描いたりしていました。
絵を描くためにプログラムを書く
やがてプリンタに線や円を書くコマンドが搭載されて簡単なグラフや罫線が描けるようになるとそれらの描画コマンドも利用してついに文字に頼らない、本来の意味でのグラフィックが印刷されるようになります。でもこの時点までは人の手で描く絵画やフィルムの写真と同じ紙の上に書いた絵でした。
コンピュータの入出力装置としてフルキーボード、ブラウン管のディスプレイが使われるようになってくるとディスプレイ上の特定の点を指定して表示できるようになってきます。二つの点を指定してその間に直線を引いたりすることも出来ます。ただし、それを行うには
「X65地点、Y21地点に点を打て」
「X142地点、Y08地点に点を打て」
「この二つの地点の間に直線を引け」
という具合に「プログラミング」してやる必要がありました。
複雑な絵になるほど単純なプログラムで描画するには手間暇が追い付かなくなってしまうので、「X65地点、Y21地点に木を描くプログラムを実行せよ」という描画プログラムを作れた人が優れた「絵師」になれたのです。前回に少しだけ触れた初期のCGで現れた「○○電算室」みたいな人々はこういったプログラマの集団だったわけです。
マウスとグラフィカルディスプレイ登場以後
プログラマでなければ描けなかったコンピュータグラフィックが本来の意味でのアーティストの手によって描かれるようになるのはやはりアップルのMacintosh登場以降という事になるでしょう。ディスプレイが文字ではなく、グラフィック中心のグラフィカルディスプレイ。そして、ディスプレイの任意の点を直感的に指定できるマウスを使う事でようやくプログラミング技術なしで絵を描けるようになりました。
初期のMacintoshはモノクロ表示で色は付けられなかったのですが、マックのインターフェースが小さな絵を「アイコン」として実際の機能を持たせていたことや、そんなアイコンを製作できる簡単な描画ツールが最初から付属していたこともあり、マックで絵を描くことを楽しむ人々は増えていきました。
やがて、プロの漫画家など絵を描くことを生業としている人々もマックで絵を描き、それらを紙媒体のコミックの原稿として出版社に手渡すようになっていきました。
やがてモノクロではなく、最初は8色。次に16色。さらに256色と色の選択肢も増えてくるに至り、ようやくコンピュータグラフィックスも絵の具とキャンパスを使って描く絵とほぼ同じ表現力を獲得しました。そして、それが、デジタル写真の登場前夜という状況。コンピュータ上で扱える写真が広まるには1280x1080くらいの、今でいうFullHD以上で1677万色がどのコンピュータでも共通して扱えるようになるJPEGの登場まで待たなけばなりませんでした。