[R-15]太陽が沈んでも 前日譚 ep.1 カヨとタカシ
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▒Where Are We...?▒
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愚かな若い父親は、強盗殺人の罪で逮捕された。当時赤ん坊だったタカシは、父の存在を覚えていない。若い新妻のカヨは、悲惨な境遇でも夫の帰りを信じ、小さな赤ん坊のタカシを可愛がっていた。しかし待てど暮らせど、いい知らせは来ない。いつしか、殺人犯の妻としての噂が知れ渡ったカヨは、地元の友人はおろか、唯一の肉親である母との関係も悪化し、生来の自立心と気の強さも相まって、孤立を深めていく。
そして、ついに訪れた夫との面会の日。夫は大柄な男の囚人を連れて現れ「ムショで恋人ができた。殺しやってラッキーだったくらいさ。俺はゲイだと分かったよ」と当然のように告げられる。カヨが腕に抱いている赤ん坊も、まるで目に入っていない様子だ。
表情ひとつ変えぬ端整なその顔に「刑務所で野垂れ死ね!この豚野郎!」と醜い罵声を投げつけてカヨは面会室を飛び出し、人生で初めて声を上げて号泣した。それから二度と会わなかった。
カヨは絶望した。私はなんて恐ろしい間違いを犯してしまったのか。よもやこの可愛い坊やさえも、いずれあんな、口にするもの汚らわしいような男になってしまうのではないか?そうしてまだ幼い我が子にさえ疑心を抱き、絶えず不安と恐怖と妄想に苛まれて暮らす母の元で、タカシは大人しく臆病な子供に育った。絶えず母の顔色を伺い、無駄口は聞かず、母の恐ろしい雷を避けるように、母の行動を先読みし、母の気に入ることだけを選んでするようになった。
それでも、家庭の状況は良くなる兆しもなく、タカシが一人で歩ける年齢になると、母は度々タカシを連れて、父ではない男との「面会」に向かうようになった。そこで母は、まるで自分に息子の存在が無いかのように振舞っていた。幼いタカシは男に怯え、懐かなかったが、そんな事は大した問題ではなかった。しかし、一度ある男との子を流産してから、母は目に見えて様子がおかしくなった。男との関係がギクシャクしだすと、狂ったように取り乱し、「アンタさえいなけりゃ!」と幼い息子に容赦なく当たり散らし、タカシが泣きながら家から逃げ出したことも一度や二度ではない。職場の男との関係にかまけて、まともに食事を与えないこともあった。タカシはそんな常軌を逸した母の姿を、いよいよ心の底から恐怖し、同時に、言葉にならぬどす黒い不満を募らせ、体の成長と共に、母の目を盗んで己の欲求をぶちまけるようになり、それが、商店での万引きという形で明るみに出た瞬間、全てが変わった。
10歳の少年が盗もうとしたのは、年頃の子供が好むような、ごく一般的な価格のお菓子だ。顔見知りの店主は、日に日にやつれていくタカシの家庭環境を兼ねてから案じており、これを機に、警察ではなく児童相談所へと連絡したが、全ては手遅れだった。
カヨはとうに元夫の存在を忘れ、その消息も分からない。まだ刑務所にいるのか、生きているのかすらも。それでも、自分が産んだ息子だけは、完全に捨て去ることはできなかったようだ。まるでウサギのように小さな赤ん坊が、懸命に床を這いずり、初めて言葉らしい言葉を発した時、彼女の流した涙は、確かに母親のものだったからだ。
主張の強いカヨの性格ゆえか、はたまた息子の存在が障壁になったのか、新しい男達との関係も長続きせず、年齢と共に焦りが募り、心身共に疲れきったカヨは、もはや考える力を失い、「私と息子に構うな!」と救いの手を拒んだ。カヨにとって、唯一の肉親である息子、唯一自分の思い通りになる存在を取り上げられることは、絶対にあってはならないことだったからだ。何より、カヨには一つの確信があった。家庭内の問題は全て、息子の悪友⋯タカシの唯一の友達であった、「まさし」のせいだと。
タカシが中学生の年齢になる頃には、家の中はもはや家とも呼べぬ有り様で、タカシはまさしとつるむ為だけに家を出て、ゴミだらけの玄関で靴を履いたまま寝ていた。身の危険を感じた時、いつでも逃げ出せるように。
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※カバー写真:ゾゾゾの長尾くん(スペシャルゲスト)