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バーチャルハルシネイション

※この記事は薬物濫用を助長し促す目的ではありません
以上のことを踏まえて各自自己責任で読んでください。


はじめに


「髪の毛一筋ほどの盛りちがいで死に至るのを承知のうえで、人は薬物に手をのばす。」

他でもない私もそのうちの一人だ。

私が眠れずに夜更かししながらジャンキー生活を送るようになったのは今からちょうど3、4年前、VRChatをはじめて3年経つ(2020年)くらいのとき。そのときの出来事を書いてみました。





障害


その日は、深夜3時。ポピー横町へ行くとなにやら人だかりがある。よく見ると全員酔っ払いだ。「なるほど。これは聞きしにまさるところだな」と、

私はとてもうれしくなった。ジャンキーの私も
受け入れてくれるところがあるんじゃないかと。

しかし、なかなか会話が弾まない。ふつうにコミュ障だし
呂律も回らないから会話が通じなかった。

まぁ、結局そうそう新しいフレンドはできなかった。

それに私はその時ニートだったので当然昼夜逆転してたし、将来への絶望と不安から不眠と鬱状態が続いていた。

流石に堪えた私は、傲慢ながらお医者様に力を借りようと心理検査を受け、
後日、医者は私に言った。

「鬱状態による不眠症と、あとADHDですね、でも安心してください。個性ですから!^^」

うるさいなぁ!

私は心の中で叫んだ。発達"障害"、障害がつくくらいなんだから個性なわけがない。
個性ってポジティブな意味合いでしか使われないだろ。
てか、そんな個性いらない。前向きになれるわけない。



おくすりだしときますね


とりあえずADHDに関してはコンサータが処方された。ジャンキーの私はちょっとワクワクした。コンサータ(メチルフェニデート塩酸塩)といえば、

中島らもや筒井康隆も酒と一緒に乱用していたと
知られる薬だからだ。

窮地に立ってもラリることだけには精一杯であったわけである。

ちなみに、医者には自分がジャンキーであることは伝えなかった。
伝えたとて、いいことがないからである。伝えたら最悪、閉鎖病棟送りだ。

それと一緒に睡眠薬も処方されるようになった、睡眠薬に関してはかなり愛用していた。”デエビゴ”ってやつだ。これは安全な薬で依存性がない。

しかし、最近になって全然効かない。私はビゴちゃんに裏切られたのだ。
時が経ち、病状の悪化で主治医が何度も入院させようとしてくるため、
私は病院を変え、最近になってやっと睡眠薬を変えてもらえた。

処方されたのはベンゾジアゼピン系の睡眠薬ブロチゾラムだ。

私は過去にベンゾ系の薬が効かなかったこともあり、その時は心配がゆえに
一度に2錠飲んだ。

1時間後、私はちゃんと効いてるのが実感できて
うれしくてハイになった。

睡眠薬だから眠くなるのかというと
そうではない、困ったことにむしろ冴えているのである。

ドラマティックな気分だった。
VRChatという電子の海を揺蕩う呂律の回っていない私をフレンドが心配そうに声をかける。

「大丈夫?ふらふらしてるけど…」

こういうこと言われると、待ってましたとばかりにとても嬉しくなる。

うん、最低だと思う

思い返せば、このころはまだ良かった。
しかしいつしか薬が手段から目的に変わっていた

この段階で廃人になって生きるか死ぬかがある程度決まっていた。

わたしは手元にあるブロチゾラムを5、6錠ガリガリ齧って夜のパブリックやフレプラをうろついた。

酩酊に身を任せて何日もそれを続けているうちにフレンドは徐々に増え、次に起きるときは気分よく寝れたと実感できた。
その時の気分を言葉にするなら

「ジャスト…? 頭がおかしいんじゃないですか… 動物たちが住む森や自然を守ろうじゃないか!」
とでも叫びだしてしまいそうな感じだった。

しかし、いいことばかりじゃなかった。



現実


翌日になりフレンドがジョインしてくる。しかし、

目の前にいるのは”黄色い赤の他人”だ。
そう、昨夜ラリった時の記憶が消し飛んでいるのである

私は申し訳ない気持ちと不安感が一気にこみ上げてきた。

「私はこの人に何をされたんだろう…いや何をしてしまったんだろう…」

私は、記憶にないフレンドが増えることと、
そのフレンドの口から昨日起きた出来事を聞くのが次第に
怖くなった。まるで罪状を読み上げられる被告人のような気分だった。


こんなことばかり続けていたものだから薬に費やす資金も底をついた。
数人出来たラリ仲間とも縁を切り、
その後就活を始め、再びネクタイをしめることになる。

しかし就職はできたものの、金が余ると再びジャンキーに戻ることになった。
今思えばあの頃できたフレンドたちは、ラリった状態の私しか知らないしラリった状態じゃないと、私は彼らに触れることすらできないのだ。

シラフの私を見たらきっと「つまんない奴」、「いつもと違う」
と彼らは幻滅するだろう。そう邪推していた。

ゆえに自分がドラッグを断つことで孤立を受け入れらずに、
いっそ「お前も一回やってみろよ、楽しいぞ」と逃げてしまいたかった。
多分同じ境遇の仲間が欲しかったのだろう。



作用機序


閑話休題

では、なにが私をそこまで虜にするのか、例えると
その時得られる酩酊感は幼児の頃のグローブジャングルで
遊んだ時にふらつく、あの感覚に似ている。

グローブジャングル


それと、ブランコ、滑り台と同じ位相にもドラッグはある。
そこで人々は平衡を失い、自失と酩酊を味わう。
すなわち異界へのエクソダス(脱出)である。

勢いを求めるが、次第にブランコの振れの減少にしたがって、子供は現実へと戻らざるを得ない。異界の入り口のあたりまでたどり着いたところで
夕食を告げる母親の声に呼び返されるのだ。

しかしこの脳内の”めいてい公園”には、呼び戻すわずらわしい声はない。
グローブジャングルの酩酊の上にただ静かな闇が降ってくるだけだ。
「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」

この問いに対し私は、

「人間やめたいからジャンキーやってんだよ」

これを聞いた主治医は呆れてお手上げだった。
でも実際、彼らはこんなジャンキーには目もくれず新たな精神薬開発に勤しんでいる。

私たちジャンキーはそんな彼らの作り出した"素晴らしい絵の具"で
日々自分の肉体をキャンバスにして、死ぬほどおもしろい絵を描いている。

おわりに


人間はポジティブな知能活動、生産行為を営む一方で、
かくも自失、退嬰を求めるアクションを起こす。なぜなのか

「ゆるやかな自殺」という概念は、フロイト理論の「タナトス」を
ジャンキーどもの腐った脳みその上で顕在化しようとする。

快楽原則にのっとった人間=機械論が再武装して立ち上がる。
道のりは遠いけれど彼らにとって先行きの展望は明るいのだ。

全ての生物の本能に反して、ジャンキーだけが致死的薬物を選ぶ。そこに分子レベルでの「欲望」解明の糸口がふるふると揺れている。

彼らジャンキーにとって重要なのは、明日もドラッグが手にはいる「目安」、現状が維持されること。それだけでしかないのだ。

問題はいつでも、わたしが診察室に入れば「いつものでいいね?」といって日数分薬をだしてくれる物分かりの良い病院はどこにあるかだった。

実際クスリをもたらすための”御託”は必要なかった。むしろ遠ざけるだけで逆効果だった。心理学も民族学も大脳生理学もマルクス主義もオカルティズムも必要ない。

我々ジャンキーには食い物のかわりにドラッグがある。

行く手には悪党病院が開いてるのがみえる。




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