犬のこと
※ペットの死について書いてあります。
10月下旬、犬の体調が突然悪くなった。嘔吐、食欲不振、歩くのもしんどそう、など。
病院に行ったら、血液検査と超音波検査をすることになった。病院に行く頃には結構回復していたので、検査中は割と楽観的に考えていたのだが、診察室に再度入ってきた先生に「お掛けになってください」と言われてなんとなく察した。
脾臓から出血していて、かなり重度の貧血を起こしていたらしい。今すぐ手術をしなければ今日、明日もわからない、と。手術をするかしないかはその場で決められず、救急病院に連絡をしてもらい、とりあえず行くことにした。
救急病院に着いたらまず再検査することになった。結果、肝臓からも出血している可能性があるらしい。父とも電話で相談して手術はせず帰らせることにした。病院側からしたらじゃあなんで来たのか、と言う感じだろうが、救急に行くまで決断できなかったのだ。手術前提でことが進んでいたので、お腹と右足の毛が剃られていた。
こうして介護生活が始まった。
と言っても、重度の貧血を起こしている割には歩けていたし、自力で排泄もできたので、食べられそうなご飯を食べられそうなときに与える、長い時間散歩できなくなったので行きたそうなときに外に出す、嘔吐したら処理する、程度だった。
途中でペットカートを買ったのは正解だった。途中まで自分で歩いて、トイレが終わったり、疲れてきたら乗せて少し近所を回ってから帰ることで散歩の時間を伸ばして外に出たい欲求を満たしていた。あと単純に、ちょこんと座っている犬が可愛い。
週末になるとガクッと体調を悪くするようになった。もう今晩かな、と覚悟していたら次の日には小回復している、みたいな状況が続いた。
好き嫌いなどしたことなかったのに食べられるものもどんどん減っていった。いわゆるカリカリは早々に無理になり、とろみが付いていても固形があれば食べない。総合栄養食のちゅーるだけが頼みの綱だった。それも最後には食べなくなった。最期に食べたものはヨーグルトだった。
長毛種のダブルコートで、ブラッシングが追いつかないほどだったが、この生活が始まってから毛がまとまって抜けていった。毛が無くなっていくことで、痩せていってるのが目に見えてわかるようになって辛かった。
最後2日間ぐらいはほぼ飲まず食わず寝たきり、高頻度で胃液を吐いていた。体調が悪くなって以来、母がリビングで寝るようにしていたのだが、いつ何が起こっても良いようにそこから私もリビングで寝るようになった。
中高の友達と集まる用事があった。急変したらすぐ連絡をもらって帰れるようにしていたが、連絡はないまま帰宅した。
帰宅して就寝していた夜中の2時過ぎだった。吐きたそうにしていたので体を起こしたが、何も出てこず、聞いたことない声(息?)を出していた。落ち着いたと思ったら、呼吸が止まっていた。鼓動はまだあったが、やがてそれも止まった。
その日帰りに買ってきた犬用の体を拭くシートで体を綺麗にした。汚れていたお尻周りの毛を短く切り、肛門にコットンを詰めた。体液が出てきてしまうらしい。目と口は苦心したがなんとか閉じさせた。4時ごろ再度就寝した。
火葬場には亡くなった翌々日連れていくことになった。近所に寺があり、そこに動物霊園も併設されているので、そこにお願いすることにした。
連れていくために車のトランクに移乗していたら、最近飼い犬を亡くした近所の夫婦とちょうど会い、泣きながら手を合わせてくれた。とても嬉しかった。
火葬場に着いたら、小さい個室に案内された。綺麗で豪華なお花と、缶のフードが供えられていた。火葬炉が準備できるまで、家族のみでお別れを言う時間をくれた。花束を持っていったら、花のみを切って亡骸の周りに散りばめさせてくれた。調べた時は、おもちゃは化繊だと炉に入れられない、と書いてあったのだが、私が行ったところは一緒に入れても良いことになっていた。
火葬はかなり時間がかかった。9時半過ぎに始まり、お骨上げが11時過ぎからだった。その間に会計などの手続きを済ませ、個室で待機していた。受付のある建物は、病院の匂いがした。どれ由来なのだろうか。
火葬が終わったらまず炉のある部屋に行って、この骨が〜〜で……と言う説明を受けた。お骨上げの部屋に移動し、部位ごとにバットに入れてくれた骨を骨壷に入れた。橋渡し、と言うことで1番最初に後ろ足の骨を母と二人で持っていれたが、それ以外は自由に入れていいとのことだった。尻尾の骨は1番先の1mmもない細さのものまでちゃんと並べてくれた。シェルティだったので、マズルが長く、スタッフの人が骨壷の骨を調整してくれてやっと入った。
他のシェルティに比べて体格がよく、骨太だね〜とよく言っていたのだが、スタッフの人もそれを認めていた。
骨を収めた後、桐箱に入れ、カバーの牛乳パックみたいなあれ(なんて言うんですか?)の色を選んで、風呂敷に包んでくれて終了、と言う感じだった。
12年前、近所の人たちとバーベキューをしていて、「犬いいよ〜」と言われた次の日にペットショップに行って引き取ってきた犬。
当時私は幼く、大きくなってから記憶を失ったりもしたので思い出がほとんど失われてしまったが、12年間絶えず可愛い子だった。気まぐれで、いわゆる猫っぽい性格だった。
犬と暮らすことで、できないことはたくさんあったが、その不自由さえ愛していた。
私は抑うつ持ちで、希死念慮がずっとあるので、犬が亡くなったことでそれが強くなってしまうのではと思っていたが、今のところそれは無い。ただ、なんとなく心が空っぽだ。寂しい、悲しい、とはまた違う。空っぽなのだ。乗り越える日が来るのだろうか。
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