諦めなくていいし、気にしなくてもいいって言ってもらいたかったから、曲にした話。
ご挨拶
本日9月18日(水)2nd Single 「わたしの好きな街」がDigital releaseされました。この曲は1st EP「檸檬の庭」のCD版の方におまけとして弾き語りver.を収録していたり、CD完売を記念してリリックビデオを自主制作し、YouTubeにアップしていたりと、日頃から檸檬を聴いてくださってる皆さんにとっては馴染みのある1曲なのではないでしょうか。そして、今回はリリースがきっかけで初めてこの曲に出会ってくださった方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな方々に向けて、つらつら言葉を重ねていきたいなと思います。お付き合いよろしくお願いします。
バンドアレンジをした理由
私たちの中で、わた街というものは完結していましたが、MURABANK。の土屋氏の猛プッシュにより、バンドver.も…!ということになりました。そこまで猛プッシュしたくなるような曲だと思っていなかったので、土屋氏が度々この曲を好きだと言ってくれていたのは嘘じゃなかったのだなと思いました。この曲は堂々と自分に向けて作った曲なので、この曲を好きだと言ってくれる人の数だけ味方が居るってことだなと思えます。そこまで猛プッシュするならば…ということで、サポートメンバーに関しても土屋氏にお任せしてみたところ結果として豪華な組み合わせとなりました。
この曲が生まれたきっかけ
時は遡ること2018,19年あたり。大学生の頃に檸檬として曲を作るようになって3,4曲目あたりでできた曲です。数字があやふやになるくらい、記憶が朧げですが、そんな時期に歌詞先行で作りました。現在の形に至るまで、歌詞が3番まであったり、1曲丸々違うメロディーを付けていたりしました。そんなことすら忘れていたのですが、つい最近当時のボイスメモが出てきて、驚愕しました。歌詞を無くしたり、1曲丸々変えるなんてことはなかなかしないので、色々とくよくよ悩んでいたのではないかなと思います。なんせ、就活の時期でもありましたから。(そして、その後大学卒業と同時にコロナ禍に突入…)
就活中は“やりたいことってなんだろう?”と、毎日考えていました。自分の思い描く理想の場所はなかなか見つからず、無理矢理探していて心苦しかったです。そういえば、過去の目標を達成する前も同じように苦しかったことを思い出し、その時はどのように乗り越えたのかな?と昔の日記を読み返したり、好きな曲を聴いたりしていたら歌詞が膨らんでいきました。そして、全て好きなことを辿って行った結果が今に繋がっているということに気づき、今やっている就活って自分にとっては必要無いやという結論に至り、就活を辞めました。
名古屋で音楽をやっていると、周りが大学卒業のタイミングで活躍の場を広げる為に更なる高みを目指して上京するのを目の当たりにすることが多く、自分はこのままで良いのかなと心が揺れたりもしていました。応援したい気持ち、名古屋を出ていかないと音楽を広めることはできないのかな?というモヤモヤ。好きなライブハウスで働くことが当時の私の夢でした。しかし、その夢は大学に通いながら達成することができてしまっていました。このままの生活を続けていても大丈夫なのかな?という不安もありました。一体、自分の力で生きるには毎月いくら必要なのか?それすら全く分からなかったのも、怖かったです。本当に色々、ありました。
結局わたしは、この場所に居続けながら音楽を続けるということを絶対に諦めたくなかったのです。
好きだなと思う場所で、多くなくても、生活できる分のお金を自分で稼いで生きられれば私は幸せです。それでいいって一旦当時のわたしは決めました。
そういう生き方は他人から見れば現状に甘んじているように見えてしまうかもしれないけれど、自分の人生であるから、気にしなくていいし、好きなことで生きるにしても他人を傷つけないのであれば諦めなくていいって思ったので、最後の詞の部分はぐるぐる悩んでいた時の自分に向けて言ってます。誰かにそう言ってもらいたかったんだなと思いますし、自分自身で自分の考えを信じたかったのだと思います。
歌詞を考えていく中で出ていった先の街の方が好きな人だって居るだろうなという気持ちも浮上しました。わたしもずっと県内ではありますが、大学入学を機に名古屋という街を知った身であり、この街の方が自分を表現するのにぴったりな場であると感じています。だから、どちらの気持ちも大事にしたくて、どちら側に立ったとしても聴けるような歌詞を目指しました。
出ていく、出ていかないというより、大事なのは自分にとってその場所が自分で居られる街=好きな街であるということなのかもしれません。
バンドアレンジver.の感想
この様々な過程を経て、バンドアレンジをするということ自体が、わた街にとってぴったりな出来事だったんだなと思えました。というのも、「バンドができない」「できないことが多い」というバンド&演奏コンプレックスを抱いていたので、自分たちの音楽活動に対して、明るい未来を抱けずにいた節がありました。それでも、諦めずにコツコツ続けていたら、見てくれてる人が居て、バンドを経験することができました。案外、できないことって気にしなくても良いのかもしれません。逆にできないならこうしよう!っていう考えるきっかけになるなあって思います。こういう音楽の届け方もできるって当時は夢にも思っていませんでした。バンドじゃないからこそ、できること。1曲1曲に対してその曲に似合う方にアレンジをお願いするということは、曲そのものの魅力を最大限に表現できるのではないか?と思います。これは前回の「時間旅行」の際にも抱いた感情でもあります。
おかげで、私たちは自分たちの曲なのに客観的に楽しむために聴くということができています。
アートワークに関して
友人のカニコちゃんに依頼しよう!ってあっさり決まりました。迷いがなかったです。カニコちゃんと初めて会った日は2年前の夏だった気がします。飾られている絵にその場で即一目惚れをして、人生で初めて原画というものを購入しました。人柄含め、本当に大好きになってしまったので、その後も檸檬のラジオのサムネイルを依頼し、フライヤー作りに困っていた友達にカニコちゃんを推したりと、推し活的なことをしてました。そんなこんなで満を持してのジャケ写。曲の世界観にカニコちゃんの使う色や絵が非常によく似合っているなあって思います。じっくり見て想像力を膨らませたりしながら曲と共に味わってもらえればなと思います。
最後に
バンドアレンジをするきっかけとなった土屋氏、サポートしてくださった皆さん、聴いてくださってる皆さん、味方でいてくれる相方のノンちゃん、過去のモヤモヤしてた私、ありがとうございました。この曲が貴方にとっての好きな曲になれていたのだとしたら、これ以上の幸せってないです。この生き方で良いのかなんて命が尽きるまで答えが出ることではないと思いますので、またどうせ色々悩むのだとわたしは私に対して思います。またその時はこの曲を聴いて、水辺を散歩したり、猫を撫でたり、お茶を飲んだり、スーパー銭湯へ行ったりして、自分が自分で居られるようにしていってもらえればなと思います。
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