博士課程を使い倒そう
前回の文章では博士課程進学をゴリ押ししたので、フォローアップとして「博士課程で何を学べるか」について書きたいと思っていたら3ヵ月経っていました。前回は「博士課程で得られる、他の職務経験からは得難いユニークな経験」をまとめましたが、いくらユニークな経験があっても、研究の結果が出ないと博士課程は卒業できません。読み返してみると何だか研究への言及が少なかったか気もしました(研究と言及で韻を踏んでいます。)そもそも研究がしたいから博士課程に進学する人も多いと思います。前回述べたように研究に人生を捧げる必要はありませんが、3~5年は研究に責任を持って取り組むことは必要です。ですから研究が好きだとか、研究に興味があるのは博士課程に進学する大前提だと思います。
私自身は学部での研究が楽しく深く考えずに進学したのですが、進学時は「研究」とか「大学院」とは何かをあまり知りませんでした。とはいえ、しっかりと理解するには数年かかりますので、このような文章を読んで聞きかじりの知識を増やして悩むよりも、とりあえずやってみるのが一番だと思います。その上で、大学院の3~5年を使ってどんなことを身につけたいかと考える機会は有益だろうと思って書いています。後述する点にも関連するのですが「全体観を持たないと何をして良いのかわからない」という話に似ています。
筆者は博士課程を経て現在大学で工学系の研究室を主宰している立場で、私の経験に特有なバイアスもあると思います。その分は差し引いてもらえたらと思います。メタ的に言えば情報を鵜呑みにせず、自分なりの解釈ができるようになって下さいということです。前置きが長くなりましたが、前置きが長いのも博士の特徴です。できるだけ正確に話したいからです。このような注釈を入れるのでさらに前置きが長くなります。博士は大変なのです。
まず、大学院で学ぶ研究に必要な能力について、私がどう考えているかをまとめます。
(1)専門分野の技術
(2)専門分野の知識
(3)研究の方法
これは私の分類で、きっともっとわかりやすい分け方があると思います。上記では、下に行くにつれて抽象度が上がっていって、習得が難しい感じで分類してみました。
学生さんはもちろん PI やグループリーダーの立場で読んでくれてる方がいたら、これらの説明に対して違う考えもあるんじゃないの、という方もいると思います。このような話はやや抽象的ですが、どのように研究を始めたばかりの人に説明しているのか興味があります。こういう話って大事だと思うのですが、いつも大学教員で集まると研究費や仕組みの話になりがちで、ノウハウを共有する機会が少ないように思います。私がこういう文章を書くのは、言葉にして自分の考えを整理したいのもあるし、このような話をする相手が欲しいという意図もあります。機会があればぜひ一杯やりつつでも、そうでなくても話したいです。
(1)専門分野の技術
これは具体的な実験やシミュレーションの手法とか手技についてです。装置やソフトウエアやの使い方を知っている、試薬を準備できる、論文の Materials and Methods(マテメソ)の部分を読んだら、自分で手を動かして再現できる、ような感じです。私個人の経験で言えば、クリーンルームに入ってフォトリソグラフィーを行ったり、そこで作ったマイクロ流路を用いてサンプルを計測したり、あまり得意ではなかったですが細胞培養をしたり、などに該当します。基本的には、言われたことをやる力、書かれていることを再現する力です。
(2)専門分野の知識
これは(1)と連続的ですが、実験のトピックに関連した専門知識です。自分の行う実験やシミュレーションに関して、その実験自体よりも少し広くをカバーした体系的な知識というようなイメージです。上の例に沿ったことを言えば、フォトリソグラフィーの原理とか、マイクロ流路での流れの基礎とかです。どこまで深く理解するかというのもありますが、新しい実験をするときに、周辺知識を学ぶというような感じでやることが多かったです。周辺知識があると、上手くいかない実験のトラブルシューティングができるようになります。
(2)に関連する点では、関連論文を見つける、読む、体系化して理解する、のような話もあります。おそらく既存の論文を読んでまとめるような作業は、今後 AI の活用で迅速に難易度が下がるんだと思います。こういうのは私も追いついていかないとなあ、と思っています。
ところで(1)と(2)は「勉強」的な要素が強いです。よく言われる話ですが「勉強」と「研究」は違うことで、このテーマについては色んな人が意見を述べています。私の意見はこちらです。「高校生の頃に知っておきたかった」と書きましたが、大学院に入る前は知りませんでしたし、自分の感覚を言葉にできるようになったのは博士課程終盤です。
修士課程(あるいは大学院に入って2年くらい)で「研究」をできるようになる人は稀だと思います。学士課程では(1)、修士課程では(1,2)くらいを目指したら良いのではないでしょうか。これらができたら優秀な技術者です。結構時間がかかるので、焦らずにやると良いと思います。
(3)研究の方法
さて、具体的な実験ができるようになって、その周辺知識にも詳しくなってきたら優秀な技術者といって良いでしょう。ところで、世の中の人がもつ研究者のイメージって、勉強して実験するという(1,2)に秀でた人ではないでしょうか。私は大学院に進学する前はそのようなイメージを持っていました。しかしそれらができるようになってきたら「研究の方針を自分で定めて、自分のやったことを研究としてまとめる」という、同じくらい大事な、しかし全く別の仕事が待っています。
博士課程で身につけるべき研究能力は、自分のやったことを研究の体を為す形で説明できることだと思います。これはかなり難しいので、これができたら博士の資格がある、くらいに私は思ってます。分野にもよりますが「論文にできる」と同義と考えてもいいと思います。
研究の体を為すということは、下記のようなことが明確だということです。
(a)自分が解き明かしたい課題は何か
(b)(a)に関してこれまでどんなことが知られていて、どのようなアプローチで研究されているか
(c)(b)で不十分なこと、まだわかってないことは何か
(d)(c)に関して、自分は何を知りたいか、どのようなアプローチで取り組むか
(e)(d)に関して、それらは既存の知見・アプローチと何が違うのか、何が新しいのか
(f)その新規性によって、何が良いのか、誰が嬉しいのか
「何が良いのか」「誰が嬉しいのか」などは研究者界隈の方言です。「それって誰が嬉しいの」と教授に詰められた、みたいな学生の話は SNS で見ますが「嬉しい」というのは片づけで有名になった近藤麻理恵さんの spark joy ではなく、やったことの意義は何ですか、ということです。
私は会社で働いたことがないので想像なのですが、会社で新しい提案などすると「それって何の役に立つの」「それっていくら利益が出るの」みたいな詰められ方をするんじゃないでしょうか。研究の場合は自分のやったことを正当化する軸が少し違いますが、自分がやったことに対する説明責任があるのは同じです。短期的に役に立つという理由で自分のやったことを意義付けしても良いし、もっと抽象的な何かの土台になるようなことで意義付けしても良いと思います。(学術論文だと少ないですが)コストや Scalability で研究の意義を述べることもなくはないです。役に立つことや金銭的なメリットよりも意義付けの自由度が高いですし、とても頭を使うクリエイティブな作業です。このようなことを考えるのはどんなキャリアにも役立つと思います。
学生の頃に私が指導教員に言われたのは、研究をしたら what's new, why it is important, who cares の3つの点を明確にしろ、ということでした。これは日本語でいう「それって誰が嬉しいの」と同義になるかと思います。
予想通り冗長になってきました。でもこういう話がないと研究とは何かを説明できないので書いています。(1,2)から得られる具体的な実験結果や関連知識が、大局の中でどこに位置づけられるのか、全体観を持って話を組み立てられるのが(3)の能力です。別の言葉で言えば、その分野の周辺知識についてかなり詳しいということです。自分のやったことの何がすごいかを伝えるためには、他の人がこれまで何をやってきたか知ってる必要があります。言われてみると普通なのですが、これを徹底することは難しいです。これができるのが博士です。
関連した点で(3)ができるからこそ(1,2)が生きてくるということも大事だと思います。世の中には実験手法や知識は無限にあるので、何かをやみくもにやってるだけではプロジェクトを形にできません。私が以前に所属した研究室では「何故自分がやったことを特定の方法(アプローチ)でやったのか」を説明する、ということをしていました。単に実験をするだけではなく、そのようなことを考えて計画を立てることを Experimental Design と呼んでいました。ただあまり一般的ではない用語なので、論文に使うと Experimental Section (= Materials and Methods)と勘違いされがちです。具体例があるとわかりやすいでしょうか。例えば東京から大阪に行くには3つの道があって、徒歩か電車かバスで行けると考えたら、同じ目的を達成するにも9通りの方法があると言えます。早く行きたい、景色を見たい、特定の場所を通りたい、できるだけ安く行きたい、自分の目的に応じてそれぞれの方法に良い点・悪い点があると思います。1つの結果が出たとき自分が取った方法は1つですが「何故自分がやったことを、他にも別の方法が数多あるのに、その特定の方法でやったのか」を言葉にして説明するということも全体観を育む練習になります。これも研究的な考え方を身につけるのに良いトレーニングでした。PI の今も、このような点を学生と意識的に議論するようにしています。
世代がバレますが(隠すつもりはないですが)、スラムダンクというマンガの山王戦で試合中に流川が成長していく描写があると思います。自分に 1-on-1 しかない中で 1-on-1 に挑むのか、パスもスリーポイントもあるという選択肢を自分が俯瞰した上で 1-on-1 に挑むのかでは、やってることは同じでも、自分に対しても相手に対しても説得力が違うという、まさに名場面だと思います。カジュアルな例としては、これが Experimental Design だと考えていいと思います。
自分が言いたいことを決めて、言いたいことの周りの文脈を俯瞰して、それを言うための実験を計画して、それを技術的に解決して、わかりやすく説明できるのが博士です。これはオールラウンドな能力だと思います。学部や修士の実験の場合は、多くの場合はチームのシニアの人に「まずこれを勉強すればいいと思うよ」「こういう実験をするといいよ」というアドバイスをもらうと思います。その状況ではお膳立てされて「技術的に解決する」部分だけに取り組んでいることになります。一般的な「博士」のイメージは「技術的な専門性がある人」だと思うんですが、それよりももっと汎用的なプロジェクトマネジメントの経験をしているはずですから、社会でも会社でも博士が活躍できる業務は多数あると思います。
教員の目線だと、論文が書けない、という学生さんは結構います。実験をやってるのに論文がかけないのは、多くの場合、論文の全体像を考えていないからです。やみくもに知識だけ身につけても、実験量だけが多くても、結果をまとめることはできません。
この状況は非常に示唆的なのですが、大学までの学習は多くの場合やることが決まっているから、というのも影響してると思います。背景としては、日本の高校・大学受験では勉強的な要素が重要視されていますし、大学の学部でも授業を受けて与えられた問いを解くという大きな方向性には大差ありません。日本では答えのあるクイズを素早く解ける東大生が賢いとされる価値観があるようですが、これは数多ある賢さの1つに過ぎません。多くの若者が早押しクイズに最適化してきた能力を、それとは異なる方向に伸ばすきっかけになるのが博士課程の研究活動です。これは非常に教育的に価値の高いことだと思っていますので、私は博士課程をゴリ押ししています。
ちなみに「日本では」と書きましたが、勉強的な要素から公教育を始めるのは他の国でも大差ありません。勘の良い人でなければ、高校生のサマーインターンや探究研究程度では逃れられないのがこの勉強主体の教育の呪縛です。ぜひそこから一歩踏み出してください。
まとめると、具体的な課題を自分で決めて、それに必要な手法や知識を定めて、それらを自主的に学び、技術的な課題を解決できるのが博士課程で求められる隠された能力です。隠された能力と言いましたが、実はこれがメインです。ちなみにこれらを学べるのは博士課程だけだとは思いません。例えば会社でプロジェクトマネージャーのような立場になれば、同じようなことを考えると思います。自分で会社を興して全ての役割を担うことがあれば、もっと幅広い視点が必要だとも思います。
今回の内容からは大きく外れるので細かくは述べませんが、そのような研究の意義付けをして研究費を集め、チームを運営するのが大学や研究所のチームリーダーの仕事です。博士課程の先にある仕事の1つです。大学の先生、特に理工系の先生がいつも研究費の話をしているのは、そのような理由です。これも大事なトピックなのでいつか書きたいくらいです。
博士課程の話に戻ると、そのような包括的な経験を 20 代半ばで、自分の名前で責任を持って経験できることは強みになると思います。会社での仕事との決定的な違いがあるとすれば「学術的な題材を用いてプロジェクトを行う」ことだと思います。大学と営利企業のプロジェクトでは扱う題材は大きく違いますが、物事の考え方としては似通った点があるのではないかと思います。この辺りは実際に博士課程を経て会社に入った方々や、社会人博士の方々が適切な説明をできると思うのですが、自分の周りの卒業生の顔を思い浮かべると、きちんと博士論文をまとめられる人はどこに行っても活躍できていると思います。一般に言われている、博士は会社で活躍できるというのは、そのような意味合いです。「Transferable skill(移転可能なスキル)を身につける」といった言い方をしますが、ぜひ博士課程を経て、いろんな場面で無双する博士が増えて欲しいと思っています。
最後になりますが、上記のような経験を積んで博士課程を卒業して欲しいというのが教員である私の希望ではあるんですが、博士課程を活用する学生としても、貪欲に(3)を身につける意識を持って欲しいと思います。大学院の研究室の環境は様々ですが、細かく自分がやることを誰かに決めてもらい、特定の技術課題を解く仕事をするだけでは、人生の数年かける大学院の期間がもったいないです。技術者としての仕事はもちろん大事ですし、それもできるようにならないといけないです。その上に研究者としての考え方ができるようになると、その後のキャリアの幅が広がる博士課程になると思います。自分で方針を決められる、その方針を達成したら何が嬉しいのかも自分で決められる。せっかく自分の3~5年をかけるのなら、それくらいの目標をもって博士課程に臨んで欲しいし、そういうトレーニングができる環境を選んで欲しいです。一度そういう考え方ができるようになれば、どこにでも自信を持って出られるはずです。
最初から全体観を持ったり新しい概念・技術の意義付けをするのは難しいですし、私は現在学位取得 15 年ですが今も難しいと思います。でもやらないとできるようにならないし、特に AI の時代と言われる昨今、人の出せる付加価値はそういうところになるのかもしれません。正直なところ私は AI の進歩について、そして研究活動(特に実験系)に対してどういう意味を持つのか理解が追い付いていません。少なくとも、現段階での人と AI の異なるのは情報を集めた上で、これまでにない意義付けをできるところだと思います。まさに長々と述べた(3)の能力です。これまでにない意義付けは LLM のデータで関連性のスコアが低くて、最初に人間が言いだして、それをフォローした多くの人が意見として言い出すまでは「AI の意見」として出力される確率が低いというような理解です。もしそうならば AI の意見になっていないことを自分が最初に言い出せたら、とても価値があることではないでしょうか。そのような意味で、畢竟、研究者の営みは「新しいことをする」ことに違いはなく、それができる人に私はなりたいです。
私は博士が活躍することが、今の日本の停滞を打破する一助になると本気で思っています。だからこのような文章を書いて、博士に興味ある人も、現在在籍してる人も、卒業生も後押ししたいです。大変だけどすごくいい経験をできるプログラムですし、苦しいながらもがいてる人もかっこいいですよ。もっといろんな人に興味を持って欲しい!