人と喋らなさすぎてnote書く89

昨日のちいかわ、読んだだろうか?

これは、コミカルな日常に見せかけて、「福神漬けとラッキョを除いた、カレーのお供(とも)」という、人類が抱える永遠の命題を考えさせる、哲学的な問いかけをしているマンガである(意味不明)

カレーハウスのCoCo壱はご存知だろうか?
CoCo壱のカレーの特徴といえば、カレーのお供(とも)としてのトッピングが豊富なことだ。ヘビーCoCo壱ユーザーなら、自分なりのパーフェクトなトッピングもあるかもしれない。
トッピングを何にするかで、カレー全体の良さが引き出される。それくらい、カレーのお供(とも)は大切なものなのだ。
それはそうと、さっきから「お供(とも)」が「お供(そな)え」と同じ字で気になる。

上記のちいかわのマンガの場合、ハチワレが福神漬け、うさぎがラッキョ、そしてちいかわがゆでたまごだ。ゆでたまごは、ボクも正直微妙判定である。
では、ちいかわは何になれば良かったのだろう。そして、何になれるのだろう。
「ちいかわ」というマンガなのに、ちいかわはここでも、何者にもなれない。

それはそうと、カレーのお供(とも)として相性がいいものがあれば、逆にミスマッチなものもある。
例えば、福神漬けやラッキョと同じように、レーズンをカレーに添える文化がある。信じられない人も多いだろうが、割とカレーにレーズンをぶち込む人は一定数いるのだ(甘みが出るとか、味にアクセントがつくとかが理由らしい)
どんなトッピングでも受け入れるカレーだが、レーズンを入れられた瞬間、「これは無理」となる人もいる。ボクもその類だ。
一方で、好んでレーズンを入れる人もいる。前者の子供が、後者の親を持った時、悲劇は起こる。ボクもその類だ。
カレーレーズンは熱狂的な信者がいる一方、トラウマになっている人たちもいる。レーズンはカレーのお供(とも)として安易に扱えない代物なのだ。

もしちいかわが、ゆでたまごではなくレーズンだったら、カレーレーズントラウマ界隈から非難轟々だっただろう。ただでさえ、なんか物申したいやつらが蔓延るXに、新たな争論の種を蒔く可能性があった。
そんな争いに巻き込まれれば、きっとちいかわは「ワァ…ァ…」って泣いちゃっていたはずだ。

レーズンのみならず、賛否両論のあるトガったものは、何かしらの論争を巻き起こす。ただでさえXはそうゆう場所である。
「カレーには、福神漬けとラッキョと、あとはなんだ?」という、小学生が休み時間にするような話題で激論し、罵詈雑言浴びせ合う地獄がXという場所である(偏見)
そう考えると、例え「微妙」と言われても、まろやかでカレーの辛味を軽減してくれて、誰からも愛されるゆでたまごは、ちいかわに合っているのかもしれない。なんか白いし。

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