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豚骨ラーメンを食べるための素養の話

豚骨ラーメンを食うにしたって素養がいる。
なんにだって素養が求められる時代に、どうしてそんなことにだって素養を求められなきゃいけないんだ。
豚骨ラーメンに求められてるんだぞ。素養を。

というのも、ボクはラーメンが大好き人間である。
朝昼晩ラーメンでも、寿命が縮まなければ全然いいと思ってる。死ぬからやらないだけで。

家にはカップ麺もインスタント麺も常備されてるが、味は主に醤油か味噌か辛い系であり、たまに塩やシーフードがある。
そう、豚骨ラーメンはほとんど購入していない。
なぜ買わないのか、それは素養がないからだ。

多分博多風龍
味は美味しかった


素養がないというのは、ぶっちゃけ好みじゃないというだけの話なんだろうけど、この話をそれで済ませたくない。

何故ならボクは豚骨ラーメンをもっと好きになりたい。
どうして豚骨ラーメンを好きになりたいかと言うと、豚骨ラーメン好きの「あのラーメンは美味い」は"""ガチ"""だからだ。

今まで何人かラーメン好きの友人がいて、オススメのラーメンを聞いたことがある。その中で「あの店のは本当に美味い、絶対オススメ」と強く言われたラーメンがいくつかある。
そのどれもが豚骨ラーメンだった。
そして言われた通り食べに行ったが、「すごく美味かったけど、めちゃくちゃ印象に残るってほどではないかなぁ」が常な感想だった。
友人の舌を貶めるつもりはないが、強い期待には応えられない程度の感想しか持ち得ない。
豚骨ラーメンの素養がないからだ。

多分博多風龍

ただ、豚骨ラーメンが嫌いなわけではない。
醤油や味噌や台湾ラーメン(名古屋特有のラーメン。辛くて美味しい)などの数多のラーメンの中でなんとなく豚骨ラーメンをあんまり選ばないというだけだ。
おそらくボクの中で、ラーメンは「麺>スープ」「しょっぱみ>コッテリ」の図式があり、選ぶ時につい麺としょっぱみの強い醤油ベースを選んでしまうのだろう。

特にボクはラーメンにしょっぱみを求めがちだ。しょっぱみの強いラーメンを食べた後に飲む水はラーメンの一部ではないかと思ってる(井之頭五郎風)
でも塩分に気を遣って、できるだけスープは飲まない。
しかし、豚骨はなんといってもスープが美味い。たまにコッテリとした豚骨ラーメンを食べると、ついスープにレンゲが行ってしまう。

一番軒の豚骨ラーメンはスープがクリーミー過ぎて寿命が減っても飲み干すし、一蘭のラーメンは辛くて美味くて寿命が縮んでも構わないから飲み干す。一風堂のにんにくを入れるラーメンも美味すぎて寿命を無視してスープを飲み干した。

もしかして豚骨ラーメンって寿命削りがちか?
ボクに豚骨ラーメンの素養がないのは、命がストッパーをかけているからかもしれない。

大岩亭の特鳥は美味い不味いの次元じゃない

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