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文豪とリテラシーと毒吐きネットマナーの話

『文学史は、文学を超える面白さがある』という話を聞いたことがある。

文学作品そのものよりも、それが書かかれた背景や、作者そのものが好きな人たちは結構いるんじゃないかと思う。
そうゆう人たちはきっと、国語の教科書よりも、授業ではあまり使われない国語の資料集の方が読み込んでいると思う。なぜなら、国語の資料集には文学作品が書かれた背景や、文豪の生い立ちやエピソードが書かれてることが多いからだ。
そしてどうゆうわけだか、書かれている文豪のエピソードは大体クズであり、そのクズエピソードからしか得られない栄養がある。


国語の便覧。未だに捨てられずにいる。
なかなか捨てられない


でも、もし文豪が現代を生きてたら、SNSで定期的に炎上していたと思う。
何故なら文学作品には、作者が経験した出来事や特定されやすい事件を、ちょっとぼかした程度で書いてるものも多いからだ。
中には勝手に作品に書かれたモデルの人が世間に訴え、いわゆる炎上沙汰になったケースもある。
著作物でさえそんな感じなので、SNSなんてやってたらいわんや、である。

色恋や不倫、借金などの人に知られるのが憚られるような話が文学史に残るなんて、勝手に書かれたモデルとしたらたまったものじゃない。
文豪に「リテラシーがない」というのは釈迦に説法感がすごいが、「こんなことを書かれたら、相手はどう思う?」というネットリテラシーの基礎が抜け落ちてた可能性がある。

もし文豪が現代を生きていたら、SNSを始める前にまずネット文学の古典である「毒吐きネットマナー」を読み、半年ROMるところから始めていただきたい。

毒吐きネットマナーでネットマナーを学ぼう。
ネットリテラシーの基礎は毒吐きで学んだなぁ

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