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誰でも小説は書ける。もっとつよい物語を書くために。【浅生鴨さんと2022年08月10日の夜⑤】

全5回です。詳しい経緯は①をご覧ください。

②毎日1行でも書く。さいごまで書ききる。そして書き直す。
③『ぼくらは嘘でつながっている。』がほんとうになるまで。
④締め切りを守れないのは、プロとして恥ずかしいこと。

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浅生:あとはなんだろう、これから書きたい人のためのなんかを、言っといたほうがいいんだろうけど。

栗田:ひとつお訊きしたいことがあります。鴨さんが文章を書いているときの感覚は、小説とエッセイではちがうんですか?

浅生:ちがう感覚です。小説を書くときは、頭のなかに別の世界があって、そこに入っていて、テレビカメラで撮影してるみたいな感じ。目の前でキャラクターがしゃべったり動いたりしてるのを書き留めている。なんだろう、夢を見ながら、その夢の内容をメモにどんどん書いているような感じかなあ。

栗田:へえええ。

よしザわ:すごすぎる。

浅生:エッセイはね、実際に自分の身のまわりに起きたこととか、自分の考えてることを題材にすることが多いので、別に目の前に映像が現れたりとかしない。小説を書くときはとにかく、ほんとに夢のなかにいる感じですね。

よしザわ:みんながみんな、できることじゃないような気がします。

浅生:こういうふうにやったらいいよっていうのは、『だから僕は、ググらない。』という本でやり方をいろいろ書いてはいます。でもね、いちばんわかりやすいのは子どものときの“ごっこ遊び”。誰でも幼いころやったと思うんだけど、あれってさ、人形に砂食わしたりしてるわけじゃん?

栗田:はい(笑)。人形目線で考えたら、すごい拷問を……。

浅生:ね? 「ミートソースだよ」とか言いながら、じつは砂を食わせたりしてる。でもあれ、やってる本人、子どもにとっては人形は生きてるし、砂は本物のミートソースなわけじゃない。ぼくはあの感覚でずっと小説を書いてる。

よしザわ: 小説を書くと、どうしても「自分が考えちゃってる感じ」になっちゃいます。

浅生:ごっこ遊びのときってさ、あんまり考えてなくて、勝手にどんどん展開していくじゃないですか。あれを思い出せると、たぶん誰でもできると思う。

よしザわ:誰でもできるらしいですよ、スペースをお聞きのみなさん(笑)。

浅生:できます。一度はみんなやってたことだからさ。だから忘れてるだけなのよ。 

よしザわ:そうですね、童心に返って。

浅生:だからそうだな、恥ずかしさを捨てるってことかな。ぼく、人前で平気で「定規 対 えんぴつの戦い」とかできるから。

よしザわ:ちょっと見てみたいです(笑)。

浅生:「この、えんぴつめっ!」って定規が襲いかかって、えんぴつが「なにを〜!」っていうのとか、ルノアールでひとりでやってるの(笑)

よしザわ:そっか、お人形遊びをやってみたらいいのかもしれないですね。ちょっとやってみます。

浅生:人形遊びをやって、それをそのまま小説として書いてみるといいんじゃない?

よしザわ:おもしろそうです。

栗田:うーん、恥ずかしさを捨てるのって、むずかしいです。もう、独り言をいうこと自体も恥ずかしさがありますね。

よしザわ:ひとりで家にいても、ですか?

栗田:そうです。ライターとして原稿の推敲をするときは、慣れてきてなんとか大丈夫ですけど。

浅生:ぼく、小説とか本当に没頭して書いてるときは、車の運転してるあいだも、1人2役で会話してるね。

栗田:ああ、古賀史健さんも口に出してみるとおっしゃってたし、幡野広志さんも車のなかで「自分インタビュー」をするって、どこかでおっしゃっていたのを覚えています。

浅生:なんか、ラジオの取材を受けたテイで話すとかね。おかしなことやってるよね、けっこう(笑)。「どうも、初めまして。浅生鴨です」とかやってるもん、ひとりで。

よしザわ:口にして、音声にするのが大事なのかもしれないですね。

浅生:えーっと、すごくむずかしい話をすると、ソシュールという、ソシュールの『一般言語学』っていう現代言語学の基礎をつくった学者がいて、 その基本的な考え方は「言葉は音である」、文字ではなく音が言葉そのものなのだっていうものなんです。だからそれを考えると、言葉は音でわからないと意味がない。
だからね、古い文学っていうのは文字じゃなくて口伝えで残ってきたわけだし、やっぱり音としてちゃんと成立してるお話の方が、つよいお話のような気はする。

よしザわ:わあああ。すごい、すごいことを聞いた!

浅生:ほんとはね、ぼくも真面目なこと考えてるんですよ。こう見えて。

栗田:それはもう、わかっております……!

よしザわ:おもしろい人ですね、ソシュールさん。

浅生:ソシュールおもしろいよ、ちょっと難しいんだけど、わかりやすい入門書とかもあるはずだから。そうね、ヴィトゲンシュタインまでいかなくていいかな。

よしザわ:も、もう一回、お名前教えてください。

浅生:ヴィトゲンシュタインっていう、ソシュールから更に言語学を発展させた哲学者がいるんだけど、でもまずはソシュールを簡単に理解すると、言語のおもしろさがわかるかも。

よしザわ:ちょっと読んでみます。いやあ、すごい。浅生鴨さんにアドバイスをもらったので、わたしは来月の『KUKUMU』も小説を書かざるをえなくなりました。ありがとうございます(笑)。

浅生:わはははは(笑)。ぼくなんか今週金曜日、2日後にまたなんか考えて、短編小説アップしないといけないからね。

栗田:急にお呼びしてすごいお話を聞いちゃって、贅沢だなと思ってます。

浅生:いえいえ。じゃあぼくはこれで。

よしザわ:ありがとうございました!
栗田:ありがとうございました。

こうして8月10日の深夜、鴨さんはひと月後発売予定の『ぼくらは嘘でつながっている。』の修正原稿を、編集者・今野良介さんのお家まで届けにいきました。

(おわります)

無事発売された『ぼくらは嘘でつながっている。』はこちら。

・タイトル画像は、『KUKUMU』の渡辺凜々子さんにつくっていただきました。
・この note は浅生鴨さんに許可をいただいて、勝手に書いたものです。

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栗田真希
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