わたしにとっての宝物が、友だちの宝物にもなったのが、この旅だった。
「春に波佐見で会いましょう」。分厚いアウターに身を包んだ2月、そう言って東京で友だちふたりと別れた。
ふたりというのは、田所敦嗣さんと、コスモ・オナンさんだ。今年、ひろのぶと株式会社から書籍を出版予定の作家で、友だちだ。わたしはふたりの書くものを「すごいなあ」といつも楽しんでいる。
わたしは2020年の初夏に東京から引っ越し、長崎県波佐見町に住みはじめた。波佐見焼という400年続く焼きものの産地で、ライターをしている。うつわのこと、職人さんの哲学、町内スポットの魅力などを、お買いものができるWEBメディア「Hasami Life」で発信するのが仕事だ。
2年近く住んできて、わたしは波佐見町がとても好きになった。その土地に仲のいい友だちを呼ぶのは、ごくごく自然な流れだった。
田所さんとオナンさんと会うようになってから、感染症の波が幾度も押し寄せて、旅行をするのは難しい日々が続いた。けれどこの春、約束通り波佐見で会うことができた。
「友だちを住んでいる町に招いて、部屋に泊めて、案内するのは、君にとって旅ではないのではないか?」
旅の準備をするわたしにそう言う人もいた。けれど、まぎれもなく、わたしにとっても旅だった。
******
3月1日
DMであらためて「ふたりが波佐見に来る予定を立てたいです!」と伝えると、すぐに日程調整。田所さんのソフトボールの予選会、オナンさんがママをしているスナック営業日を考慮した上で日程が決まり、田所さんはひとり宿の予約を取る。オナンさんはわが家に泊まることに。
「わたし、オットセイみたいないびきなんですよね」とオナンさん。なぜオットセイなのだろう。以前テレビで見たのだけれど、オットセイというのは1匹の強いオスがすべてのメスを独占してハーレムをつくる。多くのオスはボスに再戦を挑むこともなく、メスとの交尾ができない一生を過ごす。そういう習性を考えるとオナンさんにオットセイは似合わない気がする。メス側で考えれば別に構わないのだろうか。わからないけれど、オットセイのいびきは聞いてみたい。
3月4日
ざっくりしたスケジュールを決める。旅行のためには決定することがいろいろあるが、オナンさんはどうやら高円寺に無いものを見ると混乱するらしく、決めるということができない。旅慣れた田所さんと波佐見に住むわたしで選択して予約などをした。
オナンさんが言う。「一人で大阪行った時も、どこに行っていいか分からずにカラオケ2時間だけして帰りました」。彼女には、高円寺のカラオケでいくつ物語が生まれたのだろうか。いつか小説としてそんな話も読みたいなと思った。
3月7日
オナンさんが痔の手術のため入院。田所さんはご近所のおばあちゃんのオーブントースターを修理。わたしは波佐見で通っている交流所兼お食事処の『四季舎』でおじいちゃんおばあちゃんとお昼ごはん。みなそれぞれの地で生きている。
3月14日
オナンさんはあらゆる事件を引き寄せる。3人で災難を笑い話にしようと試みる。「全て、コスモ・オナンの小説の養分になる」と田所さん。オナンさんが「文章を書く、ということを知って良かったと思えました」と返す。作家のふたりの人生、おもしろい。わたしは波佐見で平和に暮らし、この安らぎも愛しいと思っている。
3月28日
わが家のテーブルをつくりたくて、木工や機械に詳しい田所さんに相談したところ、旅行中に組み立ててくれることになった。やさしい。Amazonでセールしていた昇降式デスクの脚を購入。大工仕事で長崎まで出張する人、なかなかいないのではないだろうか。わたし、田所さんのことを「親方」と呼びはじめる。
4月4日
ふたりの数すくない要望を盛り込んで、わたしが案内したいところをまとめ、旅行スケジュールを組む。3泊4日、ものすごいボリュームの旅程文章を送りつける。旅行が得意じゃなさそうなオナンさんには別途「持ち物リスト」も送る。九州でふたりが会いたいと言ったTwitterでの友人にも声をかけた。旅の準備が進む。
4月5日
テーブルを組み立ててもらうために、天板やキャスターを準備して田所さんに報告する。機械や部品の話をしていると、田所さんの生き方が彼の書いた「無敵の用務員」に出てくるヤッさんと、とても似ていることに気づく。わたしはヤッさんにも会っているのだと思った。
4月7日
波佐見町のカフェ・ムックで聞き取り調査。スタッフさんたちがみんな大好きでごほうびのときに食べに行くのだという、武雄市のごはん屋さんを教えてもらう。田所さんとオナンさんにも報告して、「ここへ行こう!」と決めた。それから、オナンさんがお泊まりにくるから、部屋に飾るミニバラを買った。オレンジと黄色がマーブルになったおもちゃみたいなバラ。なんとなく、オナンさんっぽい。
4月9日
旅行がはじまった。長崎空港で顔を合わせるだけで、にこにこしてしまう。ふたりを車に乗せた緊張か、信号がないところで看板を見て停止してしまった。それ以外は、とくに問題なく運転できた。田所さんは一眼レフで車窓の風景を撮影し、オナンさんは気づいたらツイートを連投していた。
どこへ行っても、なにをしても、3人だと楽しい。
夕方には九州にいるTwitterの友人も波佐見に呼んで、楽しい時間を過ごした。
わが家に泊まったオナンさん。はさみ温泉から帰ってきて、彼女の髪の毛を梳かして、耳掃除をした。友だちが泊まりにくるとだいたいサービスしているのだけど、オナンさんはめちゃくちゃ照れていた。彼女はとても遠慮がちで恥ずかしがり屋なのだ。普段から目線が合わないことも多い。この上品さが、彼女の小説にも表れている。
4月10日
早起きした。田所さんと連絡をとって、朝のドライブへ。ちいさな神社や窯跡をまわって、わたしが準備した天板を回収してからわが家へ。田所さんによって、あっという間にテーブルが完成した。感動した。11時ごろまでとなりの部屋でよく寝ていたオナンさんは、起きてきてテーブルが出現したことにびっくりしていた。
お昼には、いつもわたしがお世話になっている交流所兼食事処の『四季舎』へ。館長の昌三さんと奥さんの瑞子さんが、ごはんを丁寧に用意してくれていた。『四季舎』の手伝いをしているたっちゃんというおじいちゃんも、「まきちゃんの友だちが来るっていうけん」とわざわざタラの芽を近所で採って持ってきてくれた。昌三さんがすぐにタラの芽を天ぷらにしてくれて、豪華なランチになった。
田所さんは『四季舎』に来て「まきちゃん、こんなの隠しててズルい」と言った。笑った。わたしの大切な場所と大好きな人たちを、とても気に入ってくれたのがわかった。
夜、オナンさんは小説を書いていた。「ダメだ、楽しくて不幸な気持ちになれない! これじゃ書けない! 外に行ってきます!」と急に立ち上がる。田舎の夜は暗い。「じゃあ、うちでひとりになったらいいよ」と先に寝室に入るわたし。眠りにつくまで、耳元でオナンさんがiPhoneでかけていた椎名林檎の曲が耳のなかで鳴っていた。
4月11日
引き続き、波佐見を案内する。ちいさな町だけど、連れていきたいところはたくさんある。
これまたお世話になっている原田製茶さんへ。日本の棚田百選にも選ばれている、鬼木の棚田を見下ろす場所にある原田さんのお家。ここのおばあちゃんカツ子さんの淹れるお茶が、わたしにとっては世界一おいしい。カツ子さんに何度も習ってわたしも家で淹れているのだけれど、やっぱり違うのだ。茶房でカツ子さんの淹れたお茶を飲んだときのふたりの「おおっ」という顔に内心ガッツポーズをした。
夜には、はじめて3人全員がお酒を飲んだ。話は尽きない。悪い酔い方をする人もなく、カフェ・ムックのみんなが教えてくれたお店で、とってもおいしいごはんを食べた。至福の時間。大将の人柄と料理がすばらしくて、「また絶対、このお店に来よう」と思った。またいつか、田所さんとオナンさんとも来れるだろうか。
4月12日
旅行最終日。波佐見に隣接する、嬉野と武雄をまわる。武雄神社で、樹齢3000年以上のクスノキを見たあと、オナンさんが通っていた武雄の小学校へ。母校を見たオナンさんが恥じらっていて、いつもより奇抜さの薄いポーズを取る彼女をスマホで写真に残した。小学生の彼女を見た。そのほか、車中の彼女はよく寝ていた。いびきはかいていない。起こさないように、丁寧に運転する。運転中、田所さんは助手席でわたしに車の運転を指導してくれた。「親方」が「教官」になる。
「もうすぐ旅、終わっちゃうんだ」と感傷的な気持ちになりかけると誰かが笑いを起こすから、明るい気持ちのまま一日過ごすことができた。
長崎空港へ向かう途中、ちょうど夕暮れどきだったので大村湾を眺められるスポットに寄った。人気もなく、3人ではしゃいで写真を撮った。いい旅の締めくくりだった。
******
わたしにとっての宝物を、田所さんとオナンさんが同じように見てくれることが、とてもうれしかった。宝物をもう一度見つけたような気持ちになって、それがわたしにとっての旅になった。
友だちだからといって、絶対に同じものを好きになれるわけじゃない。友だちの友だちと、必ず仲良くなれるわけじゃない。無邪気な子どものころにはわからなくても、大人になるとそんな当たり前のことに気づく。貸したバンドのCDが不評だったみたいなこと、いくらでも起こる。
それがわかっているから、友だちがわたしのとっておきの場所や好きな人たちを心から「すてきだね」と言ってくれるのは、奇跡みたいなことだと思った。
ふたりがこの旅行のことを書いてくれたnoteは、わたしの宝物になった。
「次は、東京で会いましょう」
空港で交わした握手は、近いうちに実現するだろう。
30minutes note No.1000