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自己紹介 I 柴田亮太の現在地まで

九州の片隅で育ち、現在は東京・表参道を拠点に活動する柴田亮太さん。

株式会社風土テックの代表取締役として、組織コンサルティングと人材紹介事業を手がける彼の歩みは、まさに波乱万丈だ

コンサル会社での勤務経験、設計事務所での挫折、そして独立起業・・・30代前半にして既に豊富な経験を持つ柴田さん。
その軌跡と、これからの展望について詳しく語っていただいた。

スポーツ少年が描いた夢

「子どもの頃は”暴れん坊”だったんです」と笑う柴田さん。

大分県佐伯市で育った彼は、小学生の頃から野球と空手に打ち込んだ。

「野球は週4日、空手も週4日。さらに陸上も週2日とあって、毎週のようにダブルヘッダーでしたね。ここまでハードに練習していますから、なんせ強くて。小学校での立ち位置は”ガキ大将”でした。とはいえガキ大将であることを望んでいたわけではないですし、周りから一線をひかれていたというか、友達との差があったというか・・・得体のない寂しさを感じることもありました。ハードなスケジュールでしたが、全て自分から”やりたい!”と言って始めたことだったので、やめたいと思ったことは一度もありませんでしたね」

その姿勢は高校、大学と進学しても変わらなかった。
野球に打ち込み続けた高校3年生の夏。思わぬ出来事が彼を襲う。

「甲子園を目指して頑張ってきた集大成の年に、新型インフルエンザの流行がありました。開会式翌日に、1週間の自宅謹慎を命じられたんです。10年ぶりのシード校だったチームは1回戦負け。僕の高3の夏は自宅で終わりました」

この経験から、柴田さんは世の中の理不尽さを学んだという。

「果たして学んでいい事だったのか、今も分からない・・・しかし自分を強くさせた要因にはなっているのだろうとどこかで思っています」

大学時代、柴田さんは野球を続けながらも、将来への漠然とした不安を感じ始めていた。

というのも柴田さんは平成3年生まれ。
世の中は不景気のニュースで持ちきりで、社会に出ることはしんどいことであるという固定概念が拭えなかったという。

さらに高校時代の挫折経験が影響し、「自分の人生をどう歩んでいくべきか」という問いが心の中で大きくなっていた。

「大学3年から始めた就職活動は、僕にとって初めて”自分の人生”を意識する転機になりました。それまでの進路選択は、”どこに行って野球をするか”くらいにしか考えていませんでしたから」

ここではじめて自分の人生を真剣に考えるきっかけを得たと振り返る。

「周りからは『公務員になった方が良いよ』『大企業に行くべきだよ』とアドバイスをもらいました。ありがたいことなんですが、根拠を聞くと納得できないことばかり。
 そこで気づいたのが、”自分は自分しか歩めない人生を歩まないといけない”ということと、”社会って面白そうだ”ということでした。就職活動を通して、活き活き働いている大人や会社と出会い、”社会ってしんどいだけじゃないんだ”と知ることができたんです!」

コンサルタントとしての7年間

大学卒業後、柴田さんは株式会社ソリューションに入社。


組織コンサルティングの世界に飛び込んだ。しかし、最初の2年間は苦労の連続だったという。

「入社1年目から2年目は、結果が出せずに本当に苦労しました。気づき力が低く、感情すら出さない自分は『ロボット柴田』なんてあだ名をつけられて・・・時にはお客さまとの会食でテーブルの横に立ち、ウェイトレス係のようにお酌やオーダーのみのトレーニングをさせられたこともありました」

しかし、柴田さんは諦めなかった。

「誰よりも量をこなす」「始業1時間半前に出社し、自主練」「大きな目標を社内で宣言」など、持ち前の粘り強さで乗り越え、3年目には16人いた同期の中で一番先に役職に就くまでになった。

「25歳、3年目の6月に福岡拠点長として異動することになったんです。当時の福岡拠点は在籍社員が0名という特殊な状況。『荒れた拠点』を再立ち上げしてこいという経営陣からのメッセージだったんでしょうね。
 この状況で3年目になったばかりの僕を福岡に単身送り込むわけですから、やはりこの会社は異常だと思いました(笑)。しかし、この決断をしたのも僕ですからやるしかありません。お客様を一から作るところからのスタートでした」
福岡での経験は、柴田さんにとって大きな転機となった。
「時には片道1時間ほどかかるお客様に2日で三回訪問し、契約にこぎつけたりと『1社のお客様を作る難しさ』をとにかく学びました。その後は新規開拓をテレアポから『紹介営業』にシフトしたんです。急激にお客様が増え、大きなターニングポイントになりました」


柴田さんは、ソリューションでの経験をさらに詳しく語ってくれた。
「このソリューションという会社は事件がとにかく多いんです。全てを書くと怒られそうなので、一つだけ紹介しますね。それは『社長が辞める』という事件です。
 入社動機にもなっていた当時の社長が辞めるなんて...。僕が採用された時の採用キャッチコピーは『何をするかではなく、誰と働くか』でした。『誰と』が一番の働くモチベーションだった僕にとって、この出来事は大きな衝撃でした」
信頼していた社長が辞めるという経験は、大きな試練のようだったと語る。
「1週間近く、燃えない自分と向き合いました。なんとか会社に踏みとどまることはできましたが、会社も自分も大きく揺れたと思います。でも、20代中盤でこの経験ができたことで、自分をとても強くさせてくれました」
そして、この経験が柴田さんのキャリアプランにも影響を与えたという。
「26歳の時に、当時の社長と”いつ辞めるか?会議”を1日かけて行い、30歳で退職する日を決めたんです。目標通り2021年3月末に退職しました」

設計事務所での4ヶ月

ソリューションを退職後、柴田さんは設計事務所の後継者として入社。
しかし、わずか4ヶ月で退職することになる。

「当初は『会社を7ヶ月で継ぐ』予定でした。しかし、様々な要因で流れが変わり、退職を決意しました。この経験は、自分の判断力と決断力を試されるものでしたね。短い期間でしたが、この挫折から学んだことは多かったです」

【さぁ、起業!】風土テックの誕生

2021年8月、柴田さんは個人事業主として経営コンサルタントの道を歩み始める。
そして2022年4月、株式会社風土テックを設立した。

「九州に根ざした事業をしようと思っていましたが、そのためには一度東京に出る必要があると感じました。2022年9月に東京へ移住し、本格的に事業を展開し始めたんです」

風土テック設立から約2年。現在は社員3人体制で、表参道にオフィスを構えるまでに成長した。この間、柴田さんは様々な挑戦を重ねてきた。

「最初の1年は本当に苦しかったです。でも、『成長する企業の特徴は、先行投資をできる企業』だと信じて、思い切って人材採用に踏み切りました。多くの企業が『うちにはまだ早い』『受け入れ態勢が整っていない』と言って採用を渋りますが、成長している企業は例外なく先に人材に投資をしているんです」

さらに、事業内容も拡大。
就活メディアの立ち上げ、新卒・中途紹介事業の開始など、次々と新しいサービスを展開していった。

組織づくりの挑戦 - 適材適所の重要性


社員が増えるにつれ、柴田さんは新たな課題に直面する。

「1人目の社員との衝突がありました。『やって欲しいことと、本人の適性が合わなかった』んです。そこで気づいたのが、『1日でも早く、組織が役割を見つける』ことの重要性でした」

この経験から、柴田さんは”その人を変えようとしない”というマネジメントスタイルを確立していった。

「社員は自分の思い通りにはなりません。『その人のカタチがハマるような場所を組織に作るべき』なんです。2人目の社員ともぶつかりましたが、今はライティングですごく活躍しています。『その人を変えようとしない』が良い結果をもたらしたと思います」


風土テックの強み - MVV構築支援

風土テックの強みは、長年培ってきたMission Vision Value(MVV)構築支援にある。

「MVVを再考することで、組織の本質的な課題解決につながります。綺麗なHPを作るだけでは、選考を進めていくごとにメッキが剥がれていくんです」

柴田さんは、経営者との1on1からMissionを導き出し、経営幹部とのワークショップでVisionを策定。そして社員参加型のワークショップでValueを決定していく。

「Missionは経営者と1on1で、人生をとにかく深掘りします。その他には取引金額の高い順にランキングを出して、何に価値を感じて買ってもらえているかを明確にしていくんです。Visionは経営幹部の方と作ります。会社で成し遂げたいこと、実現したいこと、未来の話をベースに作ります。Valueは社員さんからのワークショップで会社のイズムを集めます。ざっくばらんにアイデア出しをして、最後は経営者が決める。この仕事は12年ずっとやっている自信作です」


いつか、東京と地方を繋ぐ架け橋に

風土テックの今後について、柴田さんは野心的なビジョンを語る。

「5年後、10年後には、地方の採用については日本トップを取りたいです。そして、九州と東京のパイプ役は風土テックと言われるようになりたい。現在、九州は九州、東京なら東京で完結するビジネスが多いですが、そこをつなげるような事業をやりたいんです」

具体的には、Uターン就職の支援や、大分の企業に人材を紹介するなど、地方と都市部の橋渡し的な事業を展開していく考えだ。

「東京と地方を繋げる役割を果たしたい。それが風土テックの果たすべき役割だと考えています」

若手起業家へ。

最後に、若手起業家や地方でビジネスを始めようと考えている人へ熱いメッセージを送った。

「地方の課題を解決したいなら、まずは地方以外の場所で過ごしてみるべきです。東京から見た地方の姿を知ることが大切です。あの坂本龍馬も、それが目的で外に出たんじゃないでしょうか」

そして、何より大切なのは「プロになること」だと力説する。

「プロかアマかの一線は、仕事への誇りにあります。プロは自分の仕事に誇りを持っていて、それが態度や結果に表れるんです。一方でアマチュアは、いざというときにボロが出てしまう」

具体例を挙げながら、柴田さんは続ける。

「例えば、一見イケてる会社の人事部長が採用コンサルタントをやったとしましょう。表面上は立派に見えても、実際の採用現場でのノウハウや経験がないとすぐにボロが出てしまう・・・最近は採用コンサルの成り手が増えていますから、あるあるな話ですね。
 『うちの会社ではこうやっています』という自社の事例を語るだけでは、真のコンサルティングにはならない。多様な企業を分析した経験や、失敗談を含めた実践的な知識が必要なんです」

さらに、柴田さんは経営者へのアドバイスも語ってくれた。

「よく専門性と経営者としての能力は違うと言いますが、専門性がないリーダーは珍しいし、真似をしてもできません。まずは、自分の得意分野でプロになることです。
 経営者の能力は、イカれたビジョンを持てるか、リーダーシップがあるかだと思っています。とはいえ専門性がないリーダーは少数なので、やれることからやっていくべきですね」

30代前半にして、既に豊富な経験と明確なビジョンを持つ柴田さん。
その言葉には、コンサルタントとしての経験に裏打ちされた重みがある。

柴田さんの姿勢は、孫正義氏の言う「2番目は敗北である」という価値観から。

「経営者としてというよりリーダーシップ論が好きなんです。理想は戦国武将。勝負師。迷ったら孫さんの動画をずっと見ます。自分の状態も良くなるんです」


風土テックで働きませんか?

彼が求める人材像も明確だ。

「採用したいのは『時代を変えたい』とか『強くなりたい』とか、大きいことを言えるやつ。香ばしくて元気があって活きがいい、そういう人材が大好きです。一緒に、風土テックを成長させていきたいですね」

そう語る柴田さんの目には、過去の自分を振り返る冷静さと、未来への期待が同時に宿っていた。

「以前は『体力と耐力だけはあります』と豪語していた僕ですが、今はそれだけでは足りないことを痛感しています。この2年間で、経営者として必要なスキルや知識、そして何より『人を巻き込む力』の重要性を肌で感じてきました。
 就職活動のときに想像していた『社会のおもしろさ』と、社会人になってから感じた『社会のおもしろさ』。そして今、経営者として新たな『おもしろさ』を発見しています。これからが本当の勝負だと感じています」

「自分の力がどれだけ通用するのか?それを存分に楽しみつつ、同時にチームの力を最大限に引き出すことが僕の役割だと理解しました。最高におもしろい会社を、みんなで一緒に作っていきたいんです」

その言葉には、個人プレーヤーから真のリーダーへと成長した柴田さんの姿が垣間見えた。

「この2年間で学んだことは計り知れません。でも、まだまだ成長途中の身。だからこそ、これから挑戦しようとしている方々と共感し合えると信じています。僕の経験が、誰かの一歩を踏み出す勇気になれば嬉しいです」

風土テックが、日本の組織と地方の未来をどう変えていくのか。
学生時代から起業を志し、目標としていた30才で起業し、日々成長を続ける柴田さんと風土テックの今後の歩みに、大いに注目したい。


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